2014年2月12日水曜日

和泉黄金塚古墳

最近寒いせいもあって古墳はさっぱりでしたが
9日(日)にあった大阪府立弥生文化博物館での岸本直文氏の
黄金塚についての講演会にあわせて和泉黄金塚古墳へ。


黄金塚古墳は、堺市と接した和泉市の北端にあります。

4世紀後半頃 前方後円墳(全長約94m)
周濠無し 2段築成?
国史跡

以前に別の講演会で岸本先生が、黄金塚は草木が無くなって見やすく
なってるという旨の話をされていたので、行ってみようと思いつつ
いまいち道がわからなくて躊躇していましたが、とりあえず道から
見えているのだけを頼りに行ってみました。

堺泉北有料道路の下の道からクボタ建機ジャパンの東側の
少し住宅が並ぶ道を北側へ歩くと、畑地の向こうに黄金塚古墳が見えます。


真ん中の小屋の向こうの小山↑が黄金塚古墳


あとは畦道をただ古墳に向かって5分位?進みました。
正直どの道(畦道)が正解かわかりません;
通って良いのかもわかりません;;
ただ冬で良かったように思います。

後円部の東側に鳳高校の方の住宅街に降りて行く道がついて
いましたので、そちらの方がいいかもしれません。
鳳高校の生徒は黄金塚古墳を見学すると聞いたことがありますし~



東方向から見た後円部


黄金塚古墳は2008年に国史跡に指定されて和泉市が整備を
進めている途中とのことで、木を抜いたりして整備している途中
なのか元々なのか、大穴がたくさんありました。
草が刈られ、墳丘が痛ましい程ぼこぼこなのがよくわかります。




後円部


信太山丘陵先端の段丘西端に築造されているので見晴らしが良い
被葬者の居住域は西側と推定される

1950、51年の発掘調査で、後円部に3つの埋葬施設が確認されている。

中央槨(割竹形木棺・粘土槨)・・・棺内に武器無し、被葬者は女性と推定
                    
東槨(刳り抜き式箱形木棺・粘土被覆)・・・武器多数、残存歯より男性とみられる
西槨(組合せ式箱形木棺・粘土被覆)(追加埋葬)・・・武器多数、男性と推定

東槨と西槨には当時最新(古墳前期末に成立)の帯金式甲冑2組が副葬されていた。
その他、巴形銅器の付いた盾(木枠・革製・漆塗り・刺繍)(東槨)など出土している。

黄金塚古墳の墳形は佐紀陵山古墳に類似するという。



後円部より見た前方部


前方部より後円部を見る
















古墳の周りには途切れ途切れながらフェンスもあってほんとは中に
入ってはいけないかもしれません;
でも、講演会で岸本先生が12月に撮影したという写真を見せながら
是非行ってみてくださいと力説されていましたし、行ってから話を聞くと
より理解できますし、行く前に古墳への行き方をちょっと探してみましたが
よくわからなかったので書いてみました。
行く方は畑には入らずに、墳丘の穴ぼこに気を付けて自己責任で
行ってみてください。





大阪府立弥生文化博物館では
特別陳列『和泉黄金塚古墳と「卑弥呼の鏡」』(1/5~3/2)として
東京国立博物館所蔵の黄金塚古墳の出土品(重文)が展示されています。

ノーフラッシュなら写真OKということです。


左から円筒埴輪・靱形埴輪・蓋形埴輪
(これらは和泉市教育委員会所蔵品)



東槨出土 左から碧玉製筒型製品・碧玉製鍬形石・水晶製大形切子玉



中央槨出土 上段左より滑石製棗玉・硬玉製棗玉・碧玉製勾玉・碧玉製八角管玉
下段左:水晶製筒型製品 下段右:碧玉製車輪石
 


西槨出土 上段:滑石製勾玉・碧玉製管玉
下段(手玉):硬玉製勾玉・硬玉製棗玉・碧玉製管玉

東槨出土(被葬者頭部) 上段:三角縁龍虎鏡
下段左:画文帯環状乳神獣鏡 下段右:画文帯四神四獣鏡

水晶製のものは日本では珍しく、
朝鮮半島の伽耶に多いとのこと。


中央槨出土 上段:半三角縁二神二獣鏡
下段:景初三年銘画文帯同向式神獣鏡レプリカ(弥生博物館蔵)

下段は卑弥呼が魏に朝貢した景初三年の年号があることで有名な鏡の
 レプリカですが、棺外に置かれており、棺内にあった上段の小さい鏡の方が
 大事にされていたことがわかります。




西槨出土 画文帯同向式神獣鏡








より大きな地図で 和泉黄金塚古墳 を表示:

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