7日(日)は小雨降る肌寒い日でしたが、桜井市の「鎮守の森を観に行こうかい」の
「第50回桜井から鳥見山周遊へ」に参加させていただきました。
(主催は森とふれあう市民の会、後援は桜井市)
以前に桜井市の方に教えていただいて2回程参加させていただいていますが
歴史や植物のエキスパートの方が説明してくださり、地元ならではといつも感心
してしまうことがいっぱいで、ほんとに良い会です。
歴史や植物に興味のある方や万葉歌碑を熱心に見ている方、歩くのが楽しくて
来ている方など様々なようで、桜井市の方が多いですが、桜井市民でなくても
遠くからようお越しでという感じでいつも楽しく参加させていただいています。
近鉄桜井駅に8時30分に集合して、まずは10分程
歩いて、桜井市の名前の由来ともなった
桜の井へ。
第17代履中天皇がこの井戸の水を賞美したという
伝説を元に作られた井戸です。
すぐ南隣の
若櫻神社。
履中天皇の磐余稚桜宮跡の候補地の一つ。
(桜井市池之内の稚櫻神社も候補地)
履中天皇の陵は百舌鳥古墳群にありますが
宮はここ桜井辺り・・・なんででしょうね。
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東殿が若櫻神社で西殿が高屋安倍神社
安倍神社は安倍氏の氏神様で安倍首相も
来られたことがあるとのこと |
等彌(とみ)神社は鳥見山の西麓にある神社。
鳥見山は初代天皇である神武天皇が祭事を
行った山(245m)とされ、大嘗会の初の舞台
として聖地とされます。
鳥見山山頂には霊畤(まつりのにわ)がある
そうで、ここから20分位で登れるそうです。
今度登ってみたいです。天気の良い日に・・・
八坂神社は古墳の墳丘上にあります。
宮司さんがこの会の来訪にあわせて月並祭を
執り行なってくださいました。
なんかすごいな~。
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八坂神社というのはスサノオノミコトを祀る神社
京都の八坂さんも |
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この石碑の後ろが古墳の石室部分
左側が羨道で右が石室 |
この神社は古墳の墳丘にあって、石室が半分に断ち割られたように残っています。
言われてはじめてほお~と気付きました。
教えてくださる方がいるのはほんとに有難い
ことです。
6世紀頃の円墳か?というそうです。
神社の駐車場のところにも石室があるとの
こと。
すぐ横にかぶと塚古墳(5世紀)があるそう
です。
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石室が縦半分に削られてしまっています・・・ |
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この山を越えました
すごい近道 |
山を越えると
下居神社がありました。
下居神社は崇峻天皇の子・蜂子皇子を祀っているそうで、
崇峻天皇が暗殺された為、身の危険のあった蜂子皇子は
東北へ逃れたとのことで、この神社は出羽三山神社の
元となった神社ということで、今でも繋がりが有るとのこと。
何気ない神社のようで色々なお話があって驚きです。
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下居神社 |
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倉橋神社 |
崇峻天皇陵
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倉梯岡陵 |
ここは陵とは言うものの古墳ではないそうです。
わずかな土の高まりはあるものの、はっきりいって
ここを崇峻天皇陵と言ってるのは宮内庁だけのようです。
明治になって歴代の天皇陵を治定した際に決められた
のですが、午後から行く赤坂天王山古墳が真の崇峻陵と
いうのが定説です。
一度は赤坂天王山古墳に決められたのが、やはりここと
なったそうで、金福寺の境内だったらしいです。
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寺川のすぐ横にある
そもそも川の横などには古墳は造られないとのこと |
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倉橋ため池遠望 |
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倉橋ため池公園の池に面した公民館でお昼休憩
雨なので借りてくださったようです
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12時半お昼休憩。
4時間たっぷり歩きました。
お昼からは一番楽しみにしていた
赤坂天王山古墳(国史跡)へ。
ここは真の崇峻天皇陵というのが定説と
なっており、石室へ入れます。
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赤坂天王山古墳は天王山古墳群の一号墳
左に二号墳・後方や手前にも古墳有り
二号墳は一号墳築造の際削られている |
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南面した石室開口部は大人一人がやっと通れるくらいの大きさ |
説明してくださった桜井市埋蔵文化財センターの橋本さんは
最近この古墳を再調査なさった方で、約42mと思われていた
方墳の一辺が実際は少し大きく約50mであることや、一人で
石室で実測していた時の話など楽しく詳しくしてくださいました。
多分今この古墳に一番詳しい方だと思います。
すごい幸運です。
その橋本さんも実際入ったのを見たのは初めてと驚いておられ
ましたが、一行50人入れてしまう大きな石室に家型石棺が一つ
あります。
早くから盗掘を受けたようで、副葬品は何も伝わっていません。
もちろんカラッポです。
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一行約50人一度に入れました!
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大人数で入ったので懐中電灯でたくさん照らして
貰ってよく見えました。
一人だとたとえ入ってもゆっくり見るなんてとても
できないので、ほんとに有難いことです。
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天井石
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奥壁は持送り式三段積み |
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羨道 奥の光が開口部 |
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盗掘口ではない不思議な開口部がある石棺
二上山の凝灰岩製(ベンガラ塗) |
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家型石棺の縄掛突起が水平なことなどから
6世紀後半の古墳で崇峻天皇の没年に合うとのこと |
崇峻天皇は592年に蘇我馬子に暗殺され、即日葬られた
とされますが、とても立派な石室なので以前から作ってた
のか改装したのか。
ともあれ5指に入る大きさの石室で、石舞台にも似ている
そうで、横穴室石室の基準ともなるべき石室だそうです。
大王墓であることはまず間違いない貴重な古墳です。
赤坂天王山古墳から歩いて15分位だったでしょうか。
石位寺は
石仏で有名です。
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この奥に石仏が安置されている収蔵庫がある
(石仏は撮影不可) |
「伝・薬師三尊石仏」(白鳳時代)(重要文化財)は
日本に現存する最古の石仏です。
大変保存状態がよくて美しく、川端康成などの文人も
多く訪れているとのこと。
万葉歌人・額田王に関係のあったという粟原寺
(おうばらじ)
に元々あったとも言われることから、額田王の念持仏という
説もありますが、念持仏にしてはちょっと大き過ぎ?
ともあれ信心の無い私でも、ほのぼのと美しいと思いました。
写真は駄目ですが模写はどうなのかな。
絵心のある人に素朴なタッチで描いて欲しい感じです。
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高さ1.18m 幅1.25m |
このお寺では休憩にとコーヒーとちょっとしたお菓子を
一行全員に振る舞っていただきました。
寒かったしとても美味しかった・・・感激です。
去年の暑い時に初瀬を歩いていた途中でも、普通のお宅の
ガレージで冷たいお茶を出していただいたことがあって、
とても美味しかったことを思い出しました。
この会の知り合いの方とかなんでしょうかね~
50人分なんて大変なのにほんとに有難いことです。
石位寺から舒明天皇陵古墳に行く途中に
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岩の上は半鐘? |
神籠石(じんごいし)があります。
神武天皇の東征の際に、この地の八十健
(やそたける)を討つ時に隠れたという伝説の
ある大石です。
神籠石の横のなだらかな坂を上がっていくと
舒明天皇陵古墳(段の塚古墳)があります。
急な階段を上がると拝所があります。
拝所は小山の中腹といった所です。
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拝所
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舒明天皇は第34代天皇で天智・天武天皇の父であり、
皇極(斉明)天皇の夫でもあります。
天皇の墓が八角形墳となった最初の古墳とされます。
三段の墳丘の一番上が八角形とのこと。
榛原石の葺石(貼石?)で覆われていたらしい。
舒明天皇の押坂内陵にほぼ間違いないとされています。
(舒明天皇の母・糠手姫皇女と合葬)
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拝所より かなり高台 |
舒明天皇陵古墳より5分程奥へ登って行くと
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詳しい調査は行われていないが三段築造の方墳か |
鏡王女墓があります。
鏡女王は藤原鎌足の正室で額田王の姉とも
言われています。
山の中で開けた感じの良い場所です。
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鎌足を祀る談山神社が管理してきたようです |
鏡女王墓からさらに山道を120m登った突当りに
大伴皇女墓(押坂内墓)があります。
大伴皇女は欽明天皇の娘で、聖徳太子のおばに
あたりますが、この古墳はもう少し時代が新しい
可能性があるようです。
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円墳といわれています
ここからの眺めが良いです |
山を下って生根神社へ向かう途中に
玉津島明神というのがあります。
絶世の美女・衣通姫
(そとおりひめ)の
産湯の井戸が伝承としてあります。
忍坂坐生根神社(おしさかにいますいくねじんじゃ)
第26代継体天皇の即位前の「意柴沙加宮(おしさかのみや)」
伝承地です。
もしくは第19代允恭天皇皇后忍坂大中姫の宮室という説も。
忍坂大中姫は衣通姫の母もしくは姉とされ、衣通姫生誕の
伝承の井戸が近いしこちらの方がしっくりきますが、継体天皇
は忍坂大中姫の兄の孫だそうです。
血の繋がりはともかく、宮を構えるのに良い地だということかな。
由緒のある地です。
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拝殿の後ろの宮山が御神体 |
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榛原石の敷石
舒明天皇陵古墳の石と思われる |
午後4時半。盛り沢山のコースもここで終了です。
万歩計では約10キロの行程だったそうですが、8時間たっぷり歩いたので
もっと歩いた気がします。(ここから近鉄朝倉駅へはまだ15分程歩く)
この会はほんとによく歩きますので、遠方からの参加者は力を振り絞って
帰ります~
帰り道を少しご一緒したご夫婦は西宮の方だそうで驚きました。すごいな~
桜井の伝承はみんなとても古い時代のもので、どれも驚きです。
やはりほかの土地とは違いますね~
楽しい充実した一日を過ごさせていただいてありがとうございました。
盛りだくさん過ぎてブログがすごく長く遅くなってしまいました・・・
次回から分けよう・・・