2013年4月30日火曜日

淡輪(たんのわ)

4月20日(土)は寒の戻りで寒い日でしたが
史遊会の古代史教室見学「淡輪の二つの巨大古墳」
で淡輪(岬町)に行きました。

10時半に南海淡輪駅集合。
大阪と言っても、すぐ和歌山なのではるばる
来たなあという感じです。
無人駅です
 





宇土墓古墳の陪塚
駅の改札を出て右を見るとあります


まずは宇土墓古墳
駅の南側に5分も行けばあります。

別名淡輪ニサンザイ古墳とも呼ばれ、第11代垂仁天皇の
第二皇子であり、第12代景行天皇の兄の五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)
墓として宮内庁が管理していますが、古墳の築造は垂仁朝の
4世紀代より新しい5世紀後半で、紀小弓宿禰(きのこゆみのすくね)
墓とも言われています。

陪塚は7基あったうちの5基が現存しているとのこと。



5世紀後半 三段築成の前方後円墳(全長175m)






拝所
線路を挟んで陪塚二つ
左側のが駅の改札から見えたもの




陪塚


宇土墓古墳から西陵古墳のある南へ歩いている途中に
西小山古墳があります。

看板など全く無いですし、言われないとただの草が多い所
にしか見えない・・・


50m程の円墳か?としかわかっていないそうです




西陵(さいりょう)古墳

5世紀中頃に築造された全長205mの前方後円墳で
全国でも28番目の大きさです(国史跡)。





三段築成 葺石・円筒埴輪列・長持形石棺の存在確認有り
北側に2基の陪塚とされる円墳有り
 

船守神社
樹齢700年とも言われる大阪府天然記念物のクスノキ



一説には紀貫之が建てたとか・・
 

遊園地である、みさき公園裏の海岸で昼食。

お昼からは海に沿って深日(ふけ)まで歩きます。
天気が良ければ眺めも良かったんでしょうが、
4月にしてはかなり寒い曇天・・・;


雨が降って着た為、一旦深日町駅で解散。
行きたい人だけ国玉神社へ。

この地域で唯一の式内社です。



称徳天皇の行宮跡の碑。
本殿のある方へ上がらずに少し歩くと
あります。

 

雨の中約7kmの行程お疲れ様でした。





2013年4月25日木曜日

ココ 2歳

4月25日は、うちの大きい方の猫ココの誕生日で
2歳になりました。


ハッピーバースデーココ
写真を撮られるのがキライです・・・
 


体重はこの一年ほぼ変わらず4.1キロ。

一年前にある日突然ゴロが来て、ショックで吐きながらも
面倒を見てくれていました。ありがとう;




外に興味深々
外からはヘンな猫と思われてるで


ゴロの出現で突如大人猫にならざる得なかったココですが
スーパーとかのビニール袋で遊ぶのが好きで、なぜか
首に袋の持ち手を引っかけて持ち歩きます。
そして、時々入って遊んだり、隠れてみたりします(透明
やってば・・・;)

写真を見て、飼い主が袋を首に掛けてギャクタイだーとか
思わないで下さいね;

はずす時はすっと後ろに下がって自分ですぐはずします。
(一応見張って、留守にする時は袋は回収しております)

初めは何じゃこりゃと思いましたが、今ではあ~買い物~?
くらいな感じです。
慣れとは恐ろしいな~

ともあれ、またこれから一年元気で過ごして貰いたいものです。



2013年4月22日月曜日

パティスリー モーン

和泉市にあるパティスリー モーン。

信太貝吹山古墳の最寄駅の北信太駅近くの
北信太店と難波の高島屋に入っているお店と
ありますが、この和泉中央店は2階がカフェ
となっています。
(追記:高島屋店は6月下旬になくなっています)



桃山学院大学の近く
向かって左に5台分くらいの駐車場有り
水曜定休 営業時間:AM9~PM9



トローンブ ¥640
手づくり紅茶¥500も美味しかったです
(セットだと¥100引き)
 


パルフェ ¥680



ここのケーキはどれも綺麗で目移りしますが
シンプルなシュークリームが一番好きです。





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2013年4月20日土曜日

東求女塚古墳・西求女塚古墳

12月に処女塚古墳に行きましたが・・・
その処女塚古墳と菟原処女(うないおとめ)の伝説として
共に語られるのが東求女塚古墳・西求女塚古墳です。

早く行かねばと思っているうちに4月になって
しまいました;

処女塚古墳(4世紀・前方後方墳)


伝説をざっくり言うと一人の女性に二人の男性が求婚し、
困った女性は自殺し、男性二人も後を追って死に、その
3人の墓がこの3つの古墳だという伝説です。

処女塚古墳が菟原処女、東求女塚古墳が菟原壮士(うないおとこ)
西求女塚古墳が茅渟壮士(ちぬおとこ)のものとされています。

菟原は芦屋辺り、茅渟は和泉国の地名なので、同じ里の男と
遠くから来た男・・・。

奈良の橿原にも同じような話とお墓がありました。
またこの伝説は「大和物語」、観阿弥作の謡曲とされる「求塚」
森鴎外の戯曲「生田川」の題材にもなっているそうです。
何だかすごい伝説です。
多くの人の感性にかなりヒットしたお話だということですね。

私は全員死なんでも・・・と思ったのですが;
実はふられた男が逆上して二人とも殺して自殺したとか
だったり、死んだふりして実は遠くで幸せに暮らしてたりして
とか思ったのですが~

この3つの古墳は、約2キロの間隔で昔の海岸沿いに
並んでおり、時代は少しずつ違うようですが、同じ氏族の
ものと思われます。
瀬戸内を航行する船からこれがあの伝説の3人の古墳か
と詠んだ歌も万葉集に残っています(大伴家持など)。





まずは東求女塚古墳から。

求女塚東公園

4世紀後半頃の前方後円墳(推定全長約80m)です。
隣の遊喜幼稚園の敷地が前方部部分に当たり、後円部
部分が求女塚東公園としてありますが、かなり昔から土取り
などで墳丘は削られていて、原形はとどめていません。
石碑のある石垣部分が後円部の名残です。



奥が前方部側の幼稚園

東求女塚之碑

 
阪神住吉駅から徒歩約5分(JR住吉駅からなら約10分)。


阪神住吉駅から三宮方面に電車に乗り、2つ目の駅が
処女塚古墳のある石屋川駅、さらに3つ目の西灘駅が
西求女塚古墳の最寄駅です。


西灘駅から海の方(南)へ歩いてすぐの交差点を左へ
入ると、じきに求女塚西公園です。駅から2,3分です。

この3つの古墳はみんな高速道路の高架のすぐ近くで
駅近です。
西求女塚古墳より駅に近い古墳てあるのかな~?



求女塚西公園として保存されています
奥の傾斜地部分が墳丘部分で右側が後方部
 

3世紀後半の後方部が撥形に開く前方後方墳です。
(撥形は古墳出現期に共通する古い形)
竪穴式石室や多くの銅鏡、山陰系の土師器などが
出土しています。



奥が後方部 全長約98m
三段築成で北側に張出部有り


史跡に指定されたのは2005.年と割と最近
 



御影高杉


東求女塚古墳の最寄駅JR住吉駅より15分程北(山側)
へ歩くと、阪急御影駅があります。
便利な所ですね~。

その阪急御影駅の北側ロータリーのすぐ側に御影高杉
というケーキ屋さんがあります。
今更私が言うまでもなく、デパートにも何店か出店されて
いる有名なケーキ屋さんの本店です。




1階が店舗・喫茶で、2階がカサブランカ
という名のカフェです。
メニューは同じだそうです。




2階のカサブランカでアシェット(本日の皿盛りデザート)と
フレンチコーヒーをいただきました。
フランス人形が似合いそうな、ゆったりしたお店です。


ミルフィーユ・オレンジムース・チョコパルフェ
順番に出てくるのを一皿盛りにしてもらいました
アシェット1,050円  コーヒー630円(セットで100円引)

パリッとした感触を楽しむミルフィーユはカフェだけのメニュー
らしく、アシェットにはハーフサイズで。
どれも上質で美味しいデザートでした。

近くに住んでる方曰く、この辺りは美味しいケーキ屋さんが
多いですが、高杉はフルーツを使ったものがお薦めだそう
です。
選べて羨ましいな~




より大きな地図で 東求女塚公園 を表示

2013年4月17日水曜日

宝くじ

数年振りに、宝くじを買いました。


ちなみに4/16が販売最終日


古墳の絵だったのがもの珍しくて買いました。
特に古墳モノをコレクションしておりません。

死んだらお墓は前方後円墳にして欲しいとか全く
思いません(実際そうしてる方もいるようですが・・・
私はお墓はいりません;)

ともあれ、当たったらねこの別荘でも建てたいな~



2013年4月15日月曜日

外山(とび)茶臼山古墳

7日(日)の鳥見山周遊の前に・・・
外山茶臼山古墳(桜井茶臼山古墳)(国史跡)に寄りました。


前方部 右端に説明板あり

4世紀でも早い段階の柄鏡形の前方後円墳(全長207m)で
初期ヤマト政権の大王の墓ではと言われています。

古くから盗掘を受けていたと思われますが、平成21年の調査では
竪穴式石室は貴重な水銀朱が200kgも塗られ、天井石はベンガラ
を練りこんで赤色にした粘土で覆い、石室の真上部分では前例の
ない「丸太垣」が囲んでいたとみられます。

後円部からは茶臼山型二重口縁壺と呼ばれる土師器が出土し、
その他国内最多の81面分の鏡や碧玉製玉杖・玉葉、多量の
柳葉式鉄鏃が出土しています。
「是」という文字のあった鏡の破片は、群馬県高崎市の蟹沢古墳
出土の鏡と同型だということがわかっています。

ざっと自分の覚え書きのように並べましたが、色々すごい古墳で
これからも調べれば調べる程色んなことがありそうです。
(こちらを参考にしました)





古墳東側の排水路みたいな道を通って後円部へ
柵が開けてあるので一段目?に入れます
前方部は二段、後円部は三段築成

住宅街の方から見上げた後円部
丘陵を利用して作ったのがわかります

近鉄桜井市駅から徒歩約15分。

車の場合は前方部側の道沿いにならちょっと車が
停めれそうかなと思います。

後円部側は住宅街で開けた感じですが、古墳東側
の道は、地図では道に見えましたが排水路みたいで
とても陰気でした・・・雨の朝だからかな;




より大きな地図で 外山茶臼山古墳 を表示

2013年4月14日日曜日

えいようかん

 
 




昨日の早朝、淡路島を震源とした地震がありました。

うちの方は震度3位でそう大したことはなかったのですが、
長い揺れに猫2匹はパニックであちこちに走って逃げ惑い
揺れがおさまってからもだいぶびくついていました。

久し振りの大きな揺れに、我が家の非常食はと見ると・・・
この手の平サイズの「えいようかん」くらい。
水くらい買い置きせねば;

非常食用猫缶はツナ缶じゃ駄目かな;
猫にツナはやっても、私が猫缶を食べるのは避けたい・・・





珍しく仲良く並んで外見物




桜井・鳥見山周遊


7日(日)は小雨降る肌寒い日でしたが、桜井市の「鎮守の森を観に行こうかい」の
「第50回桜井から鳥見山周遊へ」に参加させていただきました。
(主催は森とふれあう市民の会、後援は桜井市)

以前に桜井市の方に教えていただいて2回程参加させていただいていますが
歴史や植物のエキスパートの方が説明してくださり、地元ならではといつも感心
してしまうことがいっぱいで、ほんとに良い会です。

歴史や植物に興味のある方や万葉歌碑を熱心に見ている方、歩くのが楽しくて
来ている方など様々なようで、桜井市の方が多いですが、桜井市民でなくても
遠くからようお越しでという感じでいつも楽しく参加させていただいています。



近鉄桜井駅に8時30分に集合して、まずは10分程
歩いて、桜井市の名前の由来ともなった桜の井へ。

第17代履中天皇がこの井戸の水を賞美したという
伝説を元に作られた井戸です。






すぐ南隣の若櫻神社
 履中天皇の磐余稚桜宮跡の候補地の一つ。
(桜井市池之内の稚櫻神社も候補地)

 履中天皇の陵は百舌鳥古墳群にありますが
 宮はここ桜井辺り・・・なんででしょうね。


 

 


東殿が若櫻神社で西殿が高屋安倍神社
安倍神社は安倍氏の氏神様で安倍首相も
来られたことがあるとのこと






等彌(とみ)神社は鳥見山の西麓にある神社。

鳥見山は初代天皇である神武天皇が祭事を
行った山(245m)とされ、大嘗会の初の舞台
として聖地とされます。


 
 
 
 

鳥見山山頂には霊畤(まつりのにわ)がある
そうで、ここから20分位で登れるそうです。
今度登ってみたいです。天気の良い日に・・・














八坂神社は古墳の墳丘上にあります。

宮司さんがこの会の来訪にあわせて月並祭を
執り行なってくださいました。
なんかすごいな~。

八坂神社というのはスサノオノミコトを祀る神社
京都の八坂さんも







この石碑の後ろが古墳の石室部分
左側が羨道で右が石室
この神社は古墳の墳丘にあって、石室が半分に断ち割られたように残っています。

言われてはじめてほお~と気付きました。
教えてくださる方がいるのはほんとに有難い
ことです。

6世紀頃の円墳か?というそうです。
神社の駐車場のところにも石室があるとの
こと。

すぐ横にかぶと塚古墳(5世紀)があるそう
です。




石室が縦半分に削られてしまっています・・・




この山を越えました
すごい近道


山を越えると下居神社がありました。

下居神社は崇峻天皇の子・蜂子皇子を祀っているそうで、
崇峻天皇が暗殺された為、身の危険のあった蜂子皇子は
東北へ逃れたとのことで、この神社は出羽三山神社の
元となった神社ということで、今でも繋がりが有るとのこと。
何気ない神社のようで色々なお話があって驚きです。




下居神社


倉橋神社




崇峻天皇陵

倉梯岡陵



ここは陵とは言うものの古墳ではないそうです。
わずかな土の高まりはあるものの、はっきりいって
ここを崇峻天皇陵と言ってるのは宮内庁だけのようです。

明治になって歴代の天皇陵を治定した際に決められた
のですが、午後から行く赤坂天王山古墳が真の崇峻陵と
いうのが定説です。

一度は赤坂天王山古墳に決められたのが、やはりここと
なったそうで、金福寺の境内だったらしいです。



寺川のすぐ横にある
そもそも川の横などには古墳は造られないとのこと






倉橋ため池遠望
倉橋ため池公園の池に面した公民館でお昼休憩
雨なので借りてくださったようです
 



12時半お昼休憩。
4時間たっぷり歩きました。





お昼からは一番楽しみにしていた
赤坂天王山古墳(国史跡)へ。

ここは真の崇峻天皇陵というのが定説と
なっており、石室へ入れます。


赤坂天王山古墳は天王山古墳群の一号墳
左に二号墳・後方や手前にも古墳有り
二号墳は一号墳築造の際削られている
 



南面した石室開口部は大人一人がやっと通れるくらいの大きさ

説明してくださった桜井市埋蔵文化財センターの橋本さんは
最近この古墳を再調査なさった方で、約42mと思われていた
方墳の一辺が実際は少し大きく約50mであることや、一人で
石室で実測していた時の話など楽しく詳しくしてくださいました。
多分今この古墳に一番詳しい方だと思います。
すごい幸運です。

その橋本さんも実際入ったのを見たのは初めてと驚いておられ
ましたが、一行50人入れてしまう大きな石室に家型石棺が一つ
あります。

早くから盗掘を受けたようで、副葬品は何も伝わっていません。
もちろんカラッポです。




一行約50人一度に入れました!
 
大人数で入ったので懐中電灯でたくさん照らして
貰ってよく見えました。
一人だとたとえ入ってもゆっくり見るなんてとても
できないので、ほんとに有難いことです。



天井石
 
奥壁は持送り式三段積み
羨道 奥の光が開口部

盗掘口ではない不思議な開口部がある石棺
二上山の凝灰岩製(ベンガラ塗)

家型石棺の縄掛突起が水平なことなどから
6世紀後半の古墳で崇峻天皇の没年に合うとのこと



崇峻天皇は592年に蘇我馬子に暗殺され、即日葬られた
とされますが、とても立派な石室なので以前から作ってた
のか改装したのか。
ともあれ5指に入る大きさの石室で、石舞台にも似ている
そうで、横穴室石室の基準ともなるべき石室だそうです。

大王墓であることはまず間違いない貴重な古墳です。






赤坂天王山古墳から歩いて15分位だったでしょうか。
石位寺石仏で有名です。



この奥に石仏が安置されている収蔵庫がある
(石仏は撮影不可)


「伝・薬師三尊石仏」(白鳳時代)(重要文化財)は
日本に現存する最古の石仏です。
大変保存状態がよくて美しく、川端康成などの文人も
多く訪れているとのこと。

万葉歌人・額田王に関係のあったという粟原寺(おうばらじ)
に元々あったとも言われることから、額田王の念持仏という
説もありますが、念持仏にしてはちょっと大き過ぎ?

ともあれ信心の無い私でも、ほのぼのと美しいと思いました。
写真は駄目ですが模写はどうなのかな。
絵心のある人に素朴なタッチで描いて欲しい感じです。



高さ1.18m 幅1.25m



このお寺では休憩にとコーヒーとちょっとしたお菓子を
一行全員に振る舞っていただきました。
寒かったしとても美味しかった・・・感激です。

去年の暑い時に初瀬を歩いていた途中でも、普通のお宅の
ガレージで冷たいお茶を出していただいたことがあって、
とても美味しかったことを思い出しました。

この会の知り合いの方とかなんでしょうかね~
50人分なんて大変なのにほんとに有難いことです。






石位寺から舒明天皇陵古墳に行く途中に   
岩の上は半鐘?
神籠石(じんごいし)があります。


神武天皇の東征の際に、この地の八十健
(やそたける)を討つ時に隠れたという伝説の
ある大石です。











神籠石の横のなだらかな坂を上がっていくと
舒明天皇陵古墳(段の塚古墳)があります。

急な階段を上がると拝所があります。
拝所は小山の中腹といった所です。


拝所
 



舒明天皇は第34代天皇で天智・天武天皇の父であり、
皇極(斉明)天皇の夫でもあります。

天皇の墓が八角形墳となった最初の古墳とされます。
三段の墳丘の一番上が八角形とのこと。
榛原石の葺石(貼石?)で覆われていたらしい。

舒明天皇の押坂内陵にほぼ間違いないとされています。
(舒明天皇の母・糠手姫皇女と合葬)

拝所より かなり高台




舒明天皇陵古墳より5分程奥へ登って行くと
詳しい調査は行われていないが三段築造の方墳か
鏡王女墓があります。

鏡女王は藤原鎌足の正室で額田王の姉とも
言われています。
山の中で開けた感じの良い場所です。










鎌足を祀る談山神社が管理してきたようです






鏡女王墓からさらに山道を120m登った突当りに
大伴皇女墓(押坂内墓)があります。

大伴皇女は欽明天皇の娘で、聖徳太子のおばに
あたりますが、この古墳はもう少し時代が新しい
可能性があるようです。


円墳といわれています
ここからの眺めが良いです





山を下って生根神社へ向かう途中に
玉津島明神というのがあります。

絶世の美女・衣通姫(そとおりひめ)
産湯の井戸が伝承としてあります。


 
 



忍坂坐生根神社(おしさかにいますいくねじんじゃ)


第26代継体天皇の即位前の「意柴沙加宮(おしさかのみや)
伝承地です。

もしくは第19代允恭天皇皇后忍坂大中姫の宮室という説も。

忍坂大中姫は衣通姫の母もしくは姉とされ、衣通姫生誕の
伝承の井戸が近いしこちらの方がしっくりきますが、継体天皇
は忍坂大中姫の兄の孫だそうです。

血の繋がりはともかく、宮を構えるのに良い地だということかな。
由緒のある地です。

拝殿の後ろの宮山が御神体


榛原石の敷石
舒明天皇陵古墳の石と思われる



午後4時半。盛り沢山のコースもここで終了です。

万歩計では約10キロの行程だったそうですが、8時間たっぷり歩いたので
もっと歩いた気がします。(ここから近鉄朝倉駅へはまだ15分程歩く)

この会はほんとによく歩きますので、遠方からの参加者は力を振り絞って
帰ります~
帰り道を少しご一緒したご夫婦は西宮の方だそうで驚きました。すごいな~

桜井の伝承はみんなとても古い時代のもので、どれも驚きです。
やはりほかの土地とは違いますね~

楽しい充実した一日を過ごさせていただいてありがとうございました。

盛りだくさん過ぎてブログがすごく長く遅くなってしまいました・・・
次回から分けよう・・・