百舌鳥古墳群の中に江戸時代の絵図でのみ知られていた
長山(長塚山)古墳が発掘調査で確認され、8月3日(土)に
現地説明会が行われました。
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所在地:堺市堺区協和町1丁40番
市営住宅の建替えに伴う発掘調査で見つかったとのこと |
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100人近くの見学者がいたのではないでしょうか
職員の方は暑い中熱心に説明してくださっていました |
まさに真夏のまっただ中の午後1時~4時開催ということで
1時前に着いたらすでに始まっていましたので、次の説明から
じっくり聞かせていただきました。
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前方部
左(北)側に後円部がある |
長山古墳は「長塚山」「長塚」と呼ばれ、百舌鳥古墳群では最も海に近い
西側に立地しています。
江戸時代(17247年)の地図では既に後円部の無い前方部のみが塚として
描かれており、1928(昭和3)年の航空地図では既に前方部も無く、地割等から
かろうじて前方後円墳の墳形と周濠の痕跡が推測できるのみで、今回の
発掘調査でも墳丘の大部分は削平されていたそうです。
百舌鳥古墳群で最古とされる乳岡古墳が近くにありますが、築造年代も
ほぼ同時代の4世紀後半と思われます。
武内宿禰の墓という伝承があるそうですが、仁徳天皇陵古墳のすぐ南側にある
長塚古墳にもそのような伝承があるので、混同されているのかもしれませんが、
記紀の時代的にはこちらの方があってるんでしょうかね??
名前が似てる古墳が多いのでちょっと紛らわしいですが、昔からそう呼ばれている
のだから仕方ないですね~
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前方部 手前側が後円部方向
墳長約100m(未確定)
百舌鳥古墳群で9番目の大きさ |
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突き刺すように葺かれており、裾のラインがまっすぐなのが特徴的
所々真っ直ぐ縦に並んでいるように見える所があるという
(私にはよくわからなかったですが・・・;)
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葺石は泉南地域と六甲の御影石だそうです。
この地域は大きな石が取れないそうです
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後円部
正直ただの工事現場みたいです; |
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結構行列でした |
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蓋形埴輪(肋木) |
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車輪石は前方部の墳丘裾の周濠埋土中より出土↑
埋葬施設が破壊された後周濠内へ転落? |
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鰭付円筒埴輪の破片 ↑
大部分が墳丘裾の周濠埋土や転落した葺石に混じって出土
元々の位置を保っていたものは無いそうです |
暑かったので説明を聞いて出土物を見てすぐに退散しました;
4時前に行った方が空いてて良かったかもしれませんが、何だか
ワクワクするのが現地説明会・・・
博物館できちんと美しく並んでいるのとは違う、新鮮ホヤホヤ感
みたいなのが楽しいですね。
出土遺物は近くでまた公開するそうです(よく聞いてなかった;)。
阪堺電車東湊駅から徒歩約5分。
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