2013年11月29日金曜日

吉備姫王墓(猿石)

吉備姫王墓は平田梅山(欽明天皇陵)古墳のすぐ南西にあり、
その敷地に猿石と呼ばれる4体の石像があることで知られています。


檜隈墓
円墳?(直径:8m?)


(((『延喜式』に欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから
ここに治定されていますが、古墳かどうかも確かではないらしい。

欽明天皇陵が平田梅山古墳かどうかにも左右される治定ですが
そもそも孫にあたる吉備姫王の墓が欽明陵の傍にあることに意味がある
のだろうか?

吉備姫王は欽明天皇と堅塩媛の間に生まれた桜井皇子の子で、
押坂彦人大兄皇子の子の茅渟王の妃となって皇極(斉明)・孝徳天皇を
産み、吉備嶋皇祖母命(きびのしまのすめみおやのみこと)と称されています。

天智・天武天皇の祖母にもあたり、まさに皇祖母という感じですが
古墳がこれならばちょっとささやか過ぎる気がします・・・




平田梅山(欽明陵)古墳前方部側から見る


猿石と呼ばれる4体の石像は、吉備姫王墓の柵の隙間から見えます。

『今昔物語』に軽寺の近くの陵の堤にある石の鬼形と記されて以後行方不明
となり、元禄時代に梅山古墳のすぐ南の田で掘り出されて古墳に置かれて
いたもので、明治初期に現在の場所に移されたとのこと。



山王権現(右)と女(?!)

僧(左)と男



飛鳥資料館庭にあるレプリカ

別に猿は関係ないですね~
背面にも彫刻がありますが、レプリカだとよく見えます。


2013年11月28日木曜日

平田梅山古墳(欽明天皇陵古墳)

平田梅山古墳は、第29代欽明天皇陵に治定されています。

真の欽明陵は五条野丸山古墳という説もあるので、れきしウォークの前に
寄ってみました。



檜隅坂合陵
6世紀後半 前方後円墳(全長;140m)
三段築成

・南側くびれ部に造出し有り(造出しを有する古墳では最新の可能性)。
・周濠は文久年間(1861~63年)の修復により改変されている。
・葺石は扁平な石材を並べたような終末期古墳の貼石に近い。



前方部南西の吉備姫王墓より


平田梅山古墳の東側には金塚(平田金塚・カナヅカ)古墳と呼ばれる
方墳があったと推定され、さらに東には鬼の雪隠・俎と呼ばれる横穴式石槨
の古墳、天武・持統天皇陵とされる野口王墓古墳があり、平田梅山古墳から
東西800mに一列ともいえるように古墳が並んでいます。

本当の欽明天皇陵は五条野丸山古墳ではないかと言われていますが
大王・有力氏族による最後の前方後円墳のひとつであるのは間違いないです。



ここから近鉄岡駅は徒歩15分位はかかったように思います。
近鉄飛鳥駅の方が近いと思います(徒歩約10分らしい)。
駐車場はありません。




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2013年11月27日水曜日

推古朝をたずねて~近つ飛鳥博物館れきしウォーク~

だいぶ前のこととなってしまいましたが・・・;
11月4日(月)に、近つ飛鳥博物館の秋季特別展
「考古学からみた推古朝」関連行事のれきしウォーク
「大和飛鳥に推古朝を求めて」に参加しました。

朝方まで降っていた雨がかろうじて上がって良かったです。



午前10時に近鉄岡寺駅に集合して、まず向かったのは
岡寺駅から歩いて5分位のところにある
五条野(見瀬)丸山古墳

現在わかっているうちで日本最大の横穴式石室を持つ
古墳であり、最後の巨大前方後円墳とも言われます。


6世紀後半 国史跡
前方後円墳(全長:318m・後円部径:150m) 
三段築成 
 


広い周庭帯(周庭帯を含めた全長:約420m)



前方部より畝傍山を望む




後円部のみ 畝傍陵墓参考地
円墳という認識だったらしい
 


この辺りが石室の入口らしい
石室全長:28.4m















この古墳は陵墓参考地で立ち入りが出来ないにもかかわらず、
中の石室がわかっていることで有名です。

1991(平成3)年に陵墓参考地に囲われていない所に開いた穴から
石室に入った親子の撮った写真が公開され、後に宮内庁による
調査が行われて石室の全貌が明らかになりました。

石室がかなり大きなものであり、家型石棺(刳抜式・竜山石製)が
二つあることも古くから知られていましたが、この石棺の位置が
物議を醸しています。

奥の方が新しいとされる形の石棺で手前が古い形です。
(家型石棺の上部分が狭い方が古い形)。

入れ替えたんやな、と思ったら、いくら日本最大とはいえ石室内で
石棺を入れ替えるのはなかなか困難そうです。

よそに納めていた古い石棺を合葬するために持ってきた、という方が
私はすんなり納得できますが、本当の所はどうなのでしょう。

この問題は、この古墳の被葬者が誰かということにつながっています。

日本最大の横穴式石室があるこの古墳が天皇陵でない訳がなく、
612年に妃の堅塩媛を「檜隈大陵」に改装したという『日本書紀』の記述と
石棺が二つあることも一致することから、この古墳を第29代欽明天皇の
陵墓とする説が有力です。

現在欽明天皇陵は、約1.5km南東にある平田梅山古墳に治定されています。




五条野丸山古墳から東の方へ少し歩くと、丘の上にブルーシートが
かかっているのが見えてきます。
整備中の植山古墳です(3年後完了予定)。

6世紀後半~7世紀 国史跡
長方形墳(東西40m・南北30m)

第33代推古天皇とその息子・竹田皇子の墓といわれており、
石室が二つある双室墳です。

東石室が竹田皇子(6世紀後半)、西石室が推古天皇(7世紀前半)の
墓と推定されています。


整備中の為フェンスで囲われて近づけません;

植山古墳から五条野丸山古墳を望む



東側から見る 
左側の森は春日神社






現在推古天皇陵に治定されている古墳は大阪の山田高塚古墳。
後に改葬されたようです。
昨年考古学研究者の立入が許可され、石室が二つありそうだと
言われています。





植山古墳の東側の新興住宅地の横を通り、明日香村に入って
天理教の建物の横(裏?)に菖蒲池古墳があります。

この小さい看板を見落とさないで左へ入る ↑



7世紀中頃~後半 国史跡
方墳(1辺:30m)
右の覆屋の隙間から石室が見える


 


竜山石製 2基の石棺(手前と奥) 
建物をかたどった珍しい形(竜山石製)


430m真南に野口王墓古墳(天武・持統陵)があり、また藤原京中軸線の
南への延長線上にのるという。

かなり重要な地位の人のお墓ということでしょうか。




甘樫丘でお昼休憩です。



畝傍山を望む

耳成山を望む



甘樫丘の北側にはトイレや休憩所などがあります



豊浦寺跡下層遺跡(向原寺)

豊浦寺は、552(欽明13)年に百済の聖明王より送られた仏像を
貰い受けた蘇我稲目が「向原(むくはら)の家」に祀ったことが始まり
とされ、飛鳥寺と対をなす日本最初の尼寺とされます。

豊浦寺の講堂・金堂の下層から、豊浦宮の可能性が高い
大型の掘立柱建物の柱穴と石敷が見つかっています。

推古天皇は592年に豊浦宮で即位し、603年にここから北側の雷丘東方遺跡
辺りと思われる小墾田宮移り、628年に亡くなるまで政務を執りました。

小墾田宮に移った後、寺にされたのが豊浦寺とされています。

尼寺(蘇我稲目邸)→豊浦宮→豊浦寺ということでしょうか。




628年頃には伽藍がほぼ整っていたと思われる
発掘調査で金堂・講堂が見つかっているが塔は不明



飛鳥京跡の宮殿遺構と共通した石敷き遺構



講堂礎石




左(南)の建物の下に金堂基壇がある


向原寺のすぐ南側に、難波池(なんばいけといわれる所があります。

仏教が伝来した際に廃仏派の物部尾輿が仏像を投げ捨てた難波の堀は
大阪の難波ではなくここだという伝承があるそうです。
 
長野の善光寺の仏様の縁起ともつながる記録もあるそうです








今回のウォークの行程ではないですが、飛鳥寺へ向う途中にある
飛鳥水落遺跡




国史跡
漏刻(水時計)の遺跡

 
 
水時計装置と建物の跡





飛鳥寺(安居院)

蘇我馬子によって日本で最初に建てられたお寺。

塔を中心に北に中金堂、東西金堂が建ち、それを回廊で囲む
1塔3金堂式伽藍で、百済の影響が強いとされています。

創建時の軒平瓦は見つかっていません(豊浦寺も同様)。

御本尊の釈迦如来像(飛鳥大仏)(重文)は鞍作鳥(止利仏師)作と言わ
れていますが、修復を重ねている為どれくらい当初の姿をとどめているか
は論議が分かれています。

ただ竜山石製の台座は創建当時から動いていないとのこと。


596年に伽藍が整ったとされる
「飛鳥大仏」の台石は創建時の礎石とのこと





本堂前にある金堂礎石(3個)
飛鳥寺跡は国史跡
 


塔心礎跡
仏舎利と共に発掘された埋納品は後期古墳の副葬品と類似
(玉類・耳環・挂甲・馬具・鈴・刀子・雲母など)



西門



飛鳥寺西門跡
寺の西に「槻の木の広場」があった
入鹿の首塚
乙巳の変(645年)で暗殺された蘇我入鹿の首が飛んできた所と伝えられる五輪塔
西門を出てすぐ甘樫丘を背にある
 





小雨が降ってきたなか、15分程歩いて飛鳥資料館へ。
秋季特別展「飛鳥・藤原京への道」(12/1迄)を見学。








資料館を各自見学して解散です。

いつも詳しい解説をして、色々な質問にも丁寧に答えてくださる
近つ飛鳥博物館の学芸員さんには感謝でいっぱいです。
どうもありがとうございました。お疲れ様です~





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2013年11月20日水曜日

岡崎カフェ(チーズケーキプリンセス京都店)

ラーメン屋さんの「一番星」が開店するまでぶらぶらしていたら
すぐそばにカフェがあって、結構賑わっていました。

チーズケーキプリンセス京都店:岡崎カフェで、岐阜が本店の
チーズケーキ専門店ですが、ランチなどもやっているお店です。

家に帰ってHPを見るとチーズケーキの種類はとても沢山ありますが
お店のショーケースには全種類は無かったと思います。
HPでお取り寄せが出来るようです。



月曜定休 
営業時間:10時~19時
駐車場はありません


ラーメン屋さん「一番星」は右(東)側
 


ラーメン予定の身では食べる訳にはいかないので、テイクアウトしました。
小さいお店ですが、古民家を改築した雰囲気の良いお店です。

今度はランチでもゆっくり来てみたいお店です。





プリンチーズケーキ(左)と栗のチーズケーキ 各400円
栗のケーキは洋酒が効いていて美味しい
プリンの方は期待どおりの美味しさです




2013年11月19日火曜日

一番星

平安神宮の北東隅側にあるラーメン屋さん一番星
知り合いの知り合いのお薦めでやってきました。

かなり昔からあるラーメン屋さんらしく、ラーメン屋さんというより
中華そば屋さんというほうがぴったりします。
外観はレンガ造りで喫茶店という感じなのですが~



木曜定休
営業時間:11時~15時
        16時半~20時


中華そば(並) 650円

ほんとにこれほどあっさりしたトンコツラーメンがあるのかな
という感じで、おいしいです。

食べログには休憩時間なくお店が開いているように書いて
ありますが、実際には15時から16時半には休憩時間を
とられます。
ほんとにすいませんねえ、もう年なのでね~とお店の
おばさんがすまながっておられました。

駐車場は西側に2,3台分のスペースがあります
(真横のコインパーキングではありません)。




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2013年11月18日月曜日

平安神宮

近くのラーメン屋さんに食べに来たら休憩中だったので
平安神宮に散歩がてら数年振りに来てみました。


平安神宮は、1895(明治28)年、平安遷都1100年を記念して
平安京朝堂院の様式を8分の5の規模で再現して建てられたもの。

本来の平安京大極殿は千本丸太町交差点付近にあったとされ、
ここではありません。





應天門(重要文化財)






大極殿(外拝殿) (重文)
祭神:第50代桓武天皇・第121代孝明天皇




龍尾壇(重文)
分かりにくいですが大極殿前の朱色の柵のある壇


大極殿は、朝廷の儀式の中心が内裏の紫宸殿に移っていったことから
12世紀には火事で焼失した後、再建されることなく廃絶しました。


蒼龍楼(重文)
西側に白虎楼(重文)がある



夕方でしたがさすがに観光客が途切れることなく来ていました。

神苑(入場料:大人600円)には入っていませんが、亀岡の楽々荘の
庭を作った7代目小川治兵衞の代表作で、東・中・南・西の四つからなる
約1万坪の広さの池泉回遊式庭園(国の名勝)です。

むかーし入りましたが、とても広かったことしか覚えていません;

小川治兵衞は江戸時代から現在も続く造園「植治(うえじ)」の当主の名で
特に7代目が明治から昭和頃の数多くの庭の作者として有名なのだそうです。







2013年11月17日日曜日

亀岡・チンギアーレ

京都府亀岡市にあるチンギアーレというイタリアンレストランの
ランチチケットをいただいたので、ちょっと遠いですが行ってみました。



定休日:水曜日
ランチ/平日11:30-15:00/土日祝11:30-17:00
カフェ/14:00-16:30
ディナー/18:00-21:00


ここは楽々荘という明治時代の建物を料理旅館とイタリアンレストランに
改装したお店です。

ちなみにチンギアーレとはイタリア語で野生のイノシシのことですが
特に猪料理のイタリアンではありません;
料理旅館の方ではぼたん鍋が名物みたいですが~




玄関
兎の屏風が目を引く
レストランの入口はこの右側


















予約の時間まで少しあったので、お庭を散策させていただきました。

この楽々荘は元は田中源太郎という方の旧邸だそうです。

田中氏は今年のNHK大河ドラマで話題の新島八重の兄・山本覚馬などに
師事して諸学問を学び、関西有数の実業家として亀岡銀行(現在の京都銀行)
頭取などをつとめ、また現在のJR山陰線を作った方だそうです。




建物(玄関・日本館・洋館の3棟)は国登録有形文化財

700坪の枯池泉回遊式庭園は7代目小川治兵衛(植治)作
京都府名勝(文化財)
亀山城から安土桃山時代の石燈籠や鉄製井筒などを移設
 

この洋館もメニューによってはレストランになるらしい

生家を明治30年代後半に約5年かけて改装

お茶室もあります(右側)




イタリアンレストランはこじんまりとしてしていますが窓から庭園が見えて明るいです。

パスタランチ2,100円(土・日・祝は10食限定らしいです)美味しかったです。



前菜盛り合わせ
色々すぎて全部覚えていませんがプチトマトがとても甘かった



500円プラスのウニとカニとトマトのパスタ
奥の白身魚と水菜のパスタの方が私は好きです



フォカッチャとドライトマトのパンとオレンジピールのパン
美味しいパンです


ドルチェはティラミス・ドライフルーツケーキ・シャーベットの盛り合せ
これも美味しかった



駐車場側の玄関
(入るのは反対側の正面玄関から)



駐車場横の亀岡の名木のケヤキ