その敷地に猿石と呼ばれる4体の石像があることで知られています。
檜隈墓 円墳?(直径:8m?) |
『延喜式』に欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから
ここに治定されていますが、古墳かどうかも確かではないらしい。
欽明天皇陵が平田梅山古墳かどうかにも左右される治定ですが
そもそも孫にあたる吉備姫王の墓が欽明陵の傍にあることに意味がある
のだろうか?
吉備姫王は欽明天皇と堅塩媛の間に生まれた桜井皇子の子で、
押坂彦人大兄皇子の子の茅渟王の妃となって皇極(斉明)・孝徳天皇を
産み、吉備嶋皇祖母命(きびのしまのすめみおやのみこと)と称されています。
天智・天武天皇の祖母にもあたり、まさに皇祖母という感じですが
古墳がこれならばちょっとささやか過ぎる気がします・・・
平田梅山(欽明陵)古墳前方部側から見る |
猿石と呼ばれる4体の石像は、吉備姫王墓の柵の隙間から見えます。
『今昔物語』に軽寺の近くの陵の堤にある石の鬼形と記されて以後行方不明
となり、元禄時代に梅山古墳のすぐ南の田で掘り出されて古墳に置かれて
いたもので、明治初期に現在の場所に移されたとのこと。
山王権現(右)と女(?!) |
僧(左)と男 |
飛鳥資料館庭にあるレプリカ |
別に猿は関係ないですね~
背面にも彫刻がありますが、レプリカだとよく見えます。
0 件のコメント:
コメントを投稿