2013年5月16日木曜日

養源院~東福寺

 
所用で京都へ来たので、ちょうど行きたかった養源院
俵屋宗達の杉戸絵を見に行きました。
京都国立博物館や三十三間堂が修学旅行生や観光客で
賑わっていますが、その三十三間堂のすぐ東隣にあるとは
知りませんでした。

七条通りから一歩入ると、とても静かです。

養源院 拝観料 500円


養源院は豊臣秀吉が建てた伏見城の建物を移築したもので
かなり立派な建物の面影があります。

元々は淀殿が父・浅井長政の追善の為に建立しましたが
程なく火災で焼失し、二代将軍徳川秀忠夫人(淀殿の妹・お江)
が再建して以来徳川家の菩提所となったお寺です。




入口入っていきなり唐獅子の杉戸絵があります
(中は撮影禁止)

「唐獅子図」杉戸絵(重要文化財)

左甚五郎が作った忍び除けの鴬張りの廊下はほんとうに
キコキコ鳴ってますし、自害した武士の血が沁みた床材を
供養のために天井板にしたという血天井は、もちろん血の色
など今は全くなく、ただのしみにしか見えません。

私は俵屋宗達の杉戸絵を見に来たのですが、宗達の杉戸絵も
松の襖絵も、秀吉の学問所だったという牡丹の間の狩野山楽の
華麗な牡丹の襖絵も、みんな血天井の供養の為とのこと。


金地着色松図(重要文化財)
【京都観光Navi】より


気楽に絵を見に来たので、ちょっと驚きました。
絵よりも血天井の方が有名みたいです。

ここは案内の方がしっかり説明してくださるので、間近で襖絵も
見れて良いのですが、ゆっくり見たい場合は再度説明の
ローテーションに乗らないと駄目みたいです;





「波と麒麟図」杉戸絵(重要文化財)


「白象図」杉戸絵(重要文化財)
やっぱりこれが一番印象的です

















ここから東福寺は徒歩20分程です。
東大路に沿って下っていきます(ゲベッケンの前を通って・・・;)。

京都第一赤十字病院を過ぎた所で南へ曲ると、築地塀の続く
道になります。


臥雲橋より通天橋を望む

臥雲橋から通天橋が見れて、通天橋に
入らないなら、ここから眺めるだけでも
もみじが美しいです。


東福寺は鎌倉時代に摂政関白・藤原(九条)道家が
九条家の菩提寺として創建。
以来再建復興を重ねて、京都五山の一つとしての
立派な禅宗寺院、また紅葉の名所として有名です。

秋の紅葉の頃の混雑は聞いただけでもすごくて敬遠
してましたが、初夏の青もみじも美しいし人は少ない
というので一度来たいと思っていた所でした。

確かに人は少なめで良いですし、こんなに広くて立派な
お寺とは知りませんでした。
次来たら龍吟庵の庭とかも見てみたいです。




左:本堂 右:三門(国宝)


三門は室町初期の再建
扁額「玅雲閣」は足利義持筆
 
東司(重文) 東司=トイレのことです



東司の中 百人便所と言われるのも納得;
トイレも修行のうちだそうで;;



青もみじが綺麗です







開山堂(有料:通天橋拝観受付500円)



美しい庭の模様


通天橋
ここからの紅葉が有名ですね~



さあ帰ろうと京阪(JR)東福寺駅目指して10分程歩いておりましたら・・・

東山本町陵墓参考地という所の前を通りかかりました。
ちょっと急いでましたので、とりあえず写メだけ撮って
帰ってから調べましたら・・・
第85代仲恭天皇陵の陵墓参考地ということです。


左奥に土の高まりがあるようです


陵墓参考地というのは、明治の初めに歴代の天皇や皇族のお墓をきっちり
お祀りしようとなった時にはっきりわからない所も多かったので、一応ここと
いう所を決めたものの、可能性のある所を陵墓参考地ということで保護した
ものです。

仲恭天皇というのは、鎌倉時代の順徳天皇の子で、順徳帝がその父・後鳥羽上皇の
倒幕計画に備える為に2歳で譲位されたものの計画が失敗に終わった為(承久の乱)
わずか78日で廃位され、即位も認められていなかったために九条廃帝などといわれた
天皇だということです。

ちなみに在位78日は歴代天皇で最短で、明治になって天皇として認められ、仲恭天皇
と追号されたそうです。
物心もつかない頃に天皇になって廃位され、母の実家の九条家に移って17歳の若さで
で崩御されたという仲恭天皇。
このような天皇もいらっしゃったんですね~

仲恭天皇陵としては東福寺の南東の深草本寺町に九條陵として比定されていますが
こちらの陵墓参考地も伝承などから可能性があるようです。

古墳めぐりをしていると、陵墓参考地という言葉に出会うと古墳かと思ってしまいますが
このような知らなかった話にも出会えて大変面白いです。


寄り道が長くなりましたが、もう5分程歩くと東福寺駅です。



 

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