絶好の歩き日和でした。
大仙古墳(仁徳天皇陵古墳) 拝所 |
堺市博物館での学芸講座「ニサンザイ古墳の調査成果について」
の聴講に合わせて、大仙(だいせん)古墳(仁徳天皇陵古墳)と
その陪塚をまわりました(5/3にもあるそうです)。
大仙古墳には16基の陪塚があるとされています(宮内庁指定は12基)。
一通り行ったことはあるのですが、今日は仁徳陵とその陪塚
だけをまわってみました。
※各古墳の説明はごく短いものしかつけていませんので
詳細は堺市ホームページをご参照ください。
百舌鳥古墳群のことが詳しく載っています。
12時半に南海三国ヶ丘駅西口を出発。
駅を背に横断歩道を渡ると、右手に小さな林が見えますが
これが源右衛門山古墳です。
久し振りに来たら、パン屋さんが出来ていました。
Slow life というパン屋さんで、お昼ご飯に買ってみました。
4月3日にオープンしたばかりだそうです。
ランチもやっているそうです |
お店のある大きい道から左へ曲れば
源右衛門山古墳です。
水色の矢印の所が敷石で周濠がわかるようになっている所 東側にも同様にあります 円墳(径34m) |
大仙公園、仁徳陵拝所の方へは左が近いです |
右の矢印の大仙古墳後円部の方へ。
歩道橋より 大安寺山古墳:円墳(径62m) 茶山古墳:円墳(径56m) |
は大仙古墳の第一堤上にあって、看板などもないので、何となくこれかなあという感じです。
歩道橋からみた大仙古墳後円部 |
国道310号線を挟んで左が大仙古墳 右が永山古墳 |
永山古墳です。
永山古墳は仁徳陵の陪塚として宮内庁に管理されていますが、
規模などから陪塚ではないのではないかと言われています。
まあこんなに近くで無関係ではないでしょう。
・・・ば、陪塚の定義ってなんだろう??
【陪塚】大型古墳とほぼ同時期に、その周囲に計画的に配置された
ような小型古墳のこと。 副葬品のみ埋納した古墳もある。
時期の上限下限や周囲の範囲、計画性、どれもよくわかりませんが
永山古墳は陪塚にしては大き過ぎるという感じなのでしょうかね~
永山古墳前方部 5世紀中頃 前方後円墳(全長100m) |
昨年来た時には古墳整備の工事中でしたが新しい柵ができていました。
一周しましたが説明板は見当たらず、これから立てるのでしょうか。
前方部の西端の辺りにある横断歩道を渡って
車屋さんとタイヤ屋さんの間の道へ入った右手に・・・
フェンスに掛かっている白い板が説明板 5世紀中~後半 帆立貝型前方後円墳(全長87m) |
丸保山古墳の西側の道を古墳の端まで歩いて
右へ曲るとすぐに
菰山塚古墳があります。
特に看板などありません 前方後円墳(全長33m) |
来た道を戻るか、菰山塚古墳の西側の道をまっすぐ南へ
進んで支援学校の前を左へ歩いて大仙古墳の方へ戻ると
樋の谷古墳が外濠の中にあるのですが・・・
古墳の形:不明(47m) |
これやろな~という感じです。
この古墳は濠をさらった時の土を盛ったものともいわれ、古墳かどうかは疑問視されています。
銅亀山古墳です。
方墳(一辺26m) |
この辺りは、以前は大阪女子大学がありましたが
今は移転して、住宅建設工事をしていました。
一戸建ての家がたくさん建つのかな。
大仙古墳の外濠が終わる所で車の通る道路に
でます。
道向かいが大仙公園です。
外濠の西端から東を見る |
横断歩道を渡って目の前にあるのが
狐山古墳です。
円墳(径23m) |
そのまま道路に沿って東へ歩きます。
竜佐山古墳
5世紀中~後半 前方後円墳(61m) |
孫太夫山古墳
5世紀中~後半 帆立貝型前方後円墳(48m) ↑ 左手前にいる鳥・・・ ↓ |
悠々と歩いてました |
横断歩道を渡って、大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)拝所へ。
第16代仁徳天皇の百舌鳥耳原中陵と治定されています。
さすがに日本一大きい古墳なので、拝所の前には人が
多いです。
堺市のボランティアガイドさんも常駐しています。
説明して貰いたい人には有難いですね。
拝所 5世紀中頃 前方後円墳(486m) 三段築成 |
ここで1時半なので、急いでお昼ご飯。
孫太夫山古墳の側のベンチで休憩。
孫太夫山古墳の周りは寛ぐ空間なのか人も多い |
孫太夫山古墳周濠の鴨(?) |
上から大納言、木の実メロンパン、豆とチーズのパン 各180円で小振りなのでちょっと割高感があります どのパンもちょっと塩気がキツめですが美味しいです |
大仙古墳(仁徳天皇陵古墳)とその陪塚めぐり~後半へ続く・・・
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