イベントの佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群ツアーに参加させて
いただきました。
復元された朱雀門 |
4日(土)は、時折曇るものの、歩くには良い気候でした。
10時半から2時間の予定で、ボランティアガイドさんが
平城京跡のすぐ北にある、佐紀盾列古墳群を案内して
くださいました。
奈良のご夫婦と私とガイドさんの4人と小振りなツアーです。
佐紀盾列古墳群は、平城京が出来る300年ほど前に
大王墓と思われる大型古墳がいくつも築かれており、
古墳群の西側は4世紀後半、東側は5世紀の前半の
築造が多いとされています。
平城京跡から旧家らしい静かな佇まいの家が多い道を
通り、佐紀陵山古墳へ。
西側グループで一番古い古墳とのこと。
第11代垂仁天皇皇后日葉酢姫の 狭木之寺間陵に比定されています |
4世紀後半 前方後円墳(全長207m) |
第13代成務天皇の狭木盾列池後陵に比定されて
います。
南隣の佐紀高塚古墳は4世紀後半の前方後円墳(全長127m)
ですが、何故か400年程後の第48代称徳天皇(第46代孝謙天皇)
の陵墓に比定されています。
火葬墓として再利用された可能性は否定できないそうですが。
右が成務陵拝所 左が佐紀高塚古墳(称徳天皇陵に比定) |
4世紀後半 前方後円墳(全長218m) |
西側へ眺望が開けています 濠の左側が拝所 |
古墳でよく見かける鳥・・・サギ? |
佐紀石塚山古墳と佐紀陵山古墳の間の
道を北へ歩きます。
佐紀陵山古墳の西側造出し |
いたのですが・・・;
思いもかけずガイドさんが道を迷ってしまわれておりました;;
どうもこの辺りや古墳のことはあまりお詳しくないようで、下見も
されてないようです;
詳しい方には物足りないでしょうが、まあ今日はざっとまわって
また来て下さいね~という感じで・・・質問はほとんど控えさせて
いただいて私も同行のご夫婦も、これ以降地図をしっかり見つつ
歩きました;
ボランティアでしていただいてますからね・・・;
通行人の方に教えていただいて、無事到着の
瓢箪山古墳。
国史跡 4世紀後半 前方後円墳(全長97m) |
東外堤に松林苑(平城京の外苑)西側の築地跡が あるそうですが、どこやったんやろ~? |
墳丘に登れます |
復元された大極殿を見つつ、佐紀盾列古墳群の
東側へ向かいます。
右端に小さく朱雀門が見えます |
この辺りは大膳職跡・内膳司跡らしい・・・ |
市庭古墳は平城天皇陵に比定されています。
第51代平城天皇の楊梅陵に比定 4世紀後半の前方後円墳(全長250m)の後円部部分 |
前方部部分は平城京造営時に整地されている |
今調べていたら、市庭古墳の南側に神明野古墳という
古墳もあったが完全に削平されて第二次大極殿が建て
られていたとのこと。
今度佐紀盾列古墳群をまわる時には神明野古墳(跡)も
忘れずに見なくては~
水上池の西畔をまわって、ヒシャゲ古墳へ。
濠が美しい古墳です |
比定されている古墳です。
仁徳天皇の御陵は堺市にある百舌鳥古墳群にあるとされて
いるのに、その皇后のお墓はこの佐紀盾列古墳群と遠い・・・
仁徳天皇のウワキに怒った皇后がこの古墳の北方の京田辺市
辺りに家出してそこで死んだという話がありますが、お墓が離れている
からできた話なのかここが皇后の縁の地なのか興味は尽きません。
磐之媛は嫉妬深い妻として有名ですが、履中・反正・允恭天皇の
母でもあり、力強い女性の印象です。
5世紀前半 前方後円墳(全長219m) |
入江泰吉さんの写真はこの辺りのかな・・・ |
ヒシャゲ古墳のすぐ南側がコナベ古墳です。
護岸工事をしてそれほど経っていないのか
造出しなどがくっきりしています。
陵墓参考地 5世紀前半 前方後円墳(全長204m) |
コナベ古墳の東隣のウワナベ古墳。
陵墓参考地 5世紀前半 前方後円墳(全長255m) |
コースにはなかったのですが、ウワナベ古墳は
一周しました(なぜかはわからないですが・・・)。
全国で13番目に大きい古墳で、破壊された陪塚
からは大量の鉄製品が出たことでも有名ですが
天皇陵には比定されていません。
被葬者はどんな人物かな・・・
ヒシャゲ古墳の拝所の鳥居が遠望できます |
コナベ古墳の前方部側の道から水上池の南畔を通り、
ゴールの平城京跡の遺構展示館で解散しました。
また来ようと思います。
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