2013年5月8日水曜日

平城京天平祭~佐紀盾並古墳群めぐり

奈良の平城京跡で開催された平城京天平祭(5/3~5/5)の
イベントの佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群ツアーに参加させて
いただきました。

復元された朱雀門

4日(土)は、時折曇るものの、歩くには良い気候でした。

10時半から2時間の予定で、ボランティアガイドさんが
平城京跡のすぐ北にある、佐紀盾列古墳群を案内して
くださいました。
奈良のご夫婦と私とガイドさんの4人と小振りなツアーです。

佐紀盾列古墳群は、平城京が出来る300年ほど前に
大王墓と思われる大型古墳がいくつも築かれており、
古墳群の西側は4世紀後半、東側は5世紀の前半の
築造が多いとされています。


平城京跡から旧家らしい静かな佇まいの家が多い道を
通り、佐紀陵山古墳へ。
西側グループで一番古い古墳とのこと。



第11代垂仁天皇皇后日葉酢姫の
狭木之寺間陵に比定されています


4世紀後半 前方後円墳(全長207m)


続いて西隣の佐紀石塚山古墳へ。
第13代成務天皇の狭木盾列池後陵に比定されて
います。

南隣の佐紀高塚古墳は4世紀後半の前方後円墳(全長127m)
ですが、何故か400年程後の第48代称徳天皇(第46代孝謙天皇)
の陵墓に比定されています。
火葬墓として再利用された可能性は否定できないそうですが。


右が成務陵拝所
左が佐紀高塚古墳(称徳天皇陵に比定)
4世紀後半 前方後円墳(全長218m)


西側へ眺望が開けています
濠の左側が拝所
古墳でよく見かける鳥・・・サギ?

佐紀石塚山古墳と佐紀陵山古墳の間の
道を北へ歩きます。


佐紀陵山古墳の西側造出し
 
佐紀陵山古墳の東側へまわって、瓢箪山古墳へ向かって
いたのですが・・・;
思いもかけずガイドさんが道を迷ってしまわれておりました;;

どうもこの辺りや古墳のことはあまりお詳しくないようで、下見も
されてないようです;
詳しい方には物足りないでしょうが、まあ今日はざっとまわって
また来て下さいね~という感じで・・・質問はほとんど控えさせて
いただいて私も同行のご夫婦も、これ以降地図をしっかり見つつ
歩きました;
ボランティアでしていただいてますからね・・・;



通行人の方に教えていただいて、無事到着の
瓢箪山古墳

国史跡 
4世紀後半 前方後円墳(全長97m)
 
東外堤に松林苑(平城京の外苑)西側の築地跡が
あるそうですが、どこやったんやろ~?


墳丘に登れます



復元された大極殿を見つつ、佐紀盾列古墳群の
東側へ向かいます。


右端に小さく朱雀門が見えます



この辺りは大膳職跡・内膳司跡らしい・・・




市庭古墳平城天皇陵に比定されています。



第51代平城天皇の楊梅陵に比定
4世紀後半の前方後円墳(全長250m)の後円部部分

前方部部分は平城京造営時に整地されている

今調べていたら、市庭古墳の南側に神明野古墳という
古墳もあったが完全に削平されて第二次大極殿が建て
られていたとのこと。

今度佐紀盾列古墳群をまわる時には神明野古墳(跡)も
忘れずに見なくては~




水上池の西畔をまわって、ヒシャゲ古墳へ。



濠が美しい古墳です
 
 
第16代仁徳天皇皇后磐之媛(いわのひめ)の平城坂上陵に
比定されている古墳です。

仁徳天皇の御陵は堺市にある百舌鳥古墳群にあるとされて
いるのに、その皇后のお墓はこの佐紀盾列古墳群と遠い・・・

仁徳天皇のウワキに怒った皇后がこの古墳の北方の京田辺市
辺りに家出してそこで死んだという話がありますが、お墓が離れている
からできた話なのかここが皇后の縁の地なのか興味は尽きません。

磐之媛は嫉妬深い妻として有名ですが、履中・反正・允恭天皇の
母でもあり、力強い女性の印象です。



5世紀前半 前方後円墳(全長219m)



入江泰吉さんの写真はこの辺りのかな・・・



ヒシャゲ古墳のすぐ南側がコナベ古墳です。

護岸工事をしてそれほど経っていないのか
造出しなどがくっきりしています。

陵墓参考地
5世紀前半 前方後円墳(全長204m)
 


コナベ古墳の東隣のウワナベ古墳

陵墓参考地
5世紀前半 前方後円墳(全長255m)

コースにはなかったのですが、ウワナベ古墳は
一周しました(なぜかはわからないですが・・・)。

全国で13番目に大きい古墳で、破壊された陪塚
からは大量の鉄製品が出たことでも有名ですが
天皇陵には比定されていません。
被葬者はどんな人物かな・・・



ヒシャゲ古墳の拝所の鳥居が遠望できます


コナベ古墳の前方部側の道から水上池の南畔を通り、
ゴールの平城京跡の遺構展示館で解散しました。

また来ようと思います。





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