2013年9月12日木曜日

百舌鳥古墳群番外編~大塚山古墳

大塚山古墳は上石津ミサンザイ古墳(履中陵古墳)の
前方部の南側ににどんと横たわるようにあった百舌鳥古墳群で
5番目の大きさを誇る古墳でしたが、昭和20年代に宅地化
により消滅しました。

戦後消滅した古墳では最大級で、消滅が惜しまれる古墳です。

大塚山古墳の名残はありませんが、古墳の真ん中辺りが公園と
なっており、そこに説明板が1枚あります。



前方部と後円部のつなぎ目にあたる辺りで
左(東)側が後円部側、右(西)が前方部側
(真ん中の木の左側↑にあるのが説明板)



前方後円墳(全長:168m) 5世紀前半
三段築成 北側くびれ部に造り出し有り
周濠・葺石有り
1985(昭和60)年 僅かに残っていた前方部の発掘調査
埴輪列や周濠規模・墳丘築造過程が明らかに
(この後完全に消滅)



1950(昭和25)年の調査で、後円部の中心主体部は破壊されていましたが
南側で3基、北側で1基、前方部中央からくびれ部にかけて4基の合計8基の
簡単な構造の粘土槨が検出されました。

副葬品に鉄製武器・武具が多いことが注目され、甲冑の中には全国的にも
珍しい三角板革綴襟付短甲があります。
ほとんどの粘土槨は副葬品を収納するための施設だと思われます。

(『堺の文化財 百舌鳥古墳群』より)





古墳復元位置図
矢印の辺りが かぶと塚古墳(残存前方部)


後円部の円のカーブの名残の道
残るものなのですね



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