行きましたが、その後の変遷をたどることにしました。
先日行った百済大寺と思われる吉備池廃寺 聖徳太子が青年期を過ごした宮が近くにあるとされる |
平群にあった聖徳太子の熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を
大寺にするという太子の遺言に端を発するという伝承
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639年 百済大寺 舒明天皇により発願
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天武天皇の頃 武市大寺
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文武天皇の頃 大官大寺
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平城京遷都に伴い 大安寺
というように、天皇家の寺院として、東大寺が出来るまでは
第一の官寺として幾度も移転している寺院です。
『日本書紀』で「大寺」と記されているのは、百済大寺、高市大寺、
大官大寺の3つだけだそうです。
百済大寺から高市大寺へ移転したとされているので、まずは
高市大寺の跡ではないかと思われている木之本廃寺へ。
奈良文化財研究所藤原宮跡資料室のすぐ北側にあるのが
木之本廃寺がこの周辺にあるとされる
畝尾都多本(うねおつたもと)神社です。
あまり人もこないのか梅雨時だからか コバエのような虫にいっぱいたかられて長居できなかった; |
社殿 |
そこから集落をぐるりと回って畝都多本神社の裏というか
東側に行くとあるのが興福寺(八釣地蔵尊)です。
物部守屋が橘寺を焼いた時に金堂の地蔵菩薩が香久山に逃れ 聖徳太子が香久山の麓に祀ったのが始まりだそうです |
あやはとり(漢織)→やとり→やつり
から来ているそうで、古代には朝廷の衣裳を縫っていた
人々が住んでいた地域だったらしいです。
八釣地蔵尊の向かい側(西側)にあるのが
畝尾坐建土安(うねおにいますたけはにやす)神社
「神武紀」などによる伝承によれば、天香久山の埴土(はにつち:粘土)を
倭国の物実(ものしろ・大和国支配のシンボル)とする
観念があり、その埴土を神格化して祀る神社だそうです。
こんなにとても古くからの伝承がある神社だったとは
帰ってきて調べるまで全然知らなかった;
手入れが行き届いている神社です |
神社の南側は空き地(畑?)を挟んで研究所の建物に接している この写真の右手が神社の社殿の裏にあたる |
右手の研究所の裏に道がある ちょっとうら寂しい; |
奈良文化財研究所 都城発掘調査部
藤原宮跡資料室が見学できます(無料です)。
藤原京の左京六条三坊にあたる所 「香山正倉」に関わる遺構も |
吉備池廃寺≒百済大寺の丸瓦と平瓦 斑鳩寺(法隆寺若草伽藍)と同笵瓦 |
木之本廃寺(高市大寺と思われる)の丸瓦 |
真ん中の二段が大官大寺のもの 両隣のものより大きいのがわかる |
庭には板塀の復元などがあります。
金具等も忠実に復元してあるそうです |
建物跡 |
駐車場の所にも建物跡や道跡がわかるように
してあります。
タイルで表した建物跡 奥に六条条間路跡が東西にとおる |
柱列で塀を表しています 柱の右側が東三坊坊間道路跡が南北にとおる |
ここから歩いて香久山の南へ、香久山を越えて行きました。
大官大寺址は香久山の南に古くから礎石が残り寺跡と思われていた
所が大官大寺址と確認されました。
礎石は明治時代の橿原神宮の建設の為などで抜き取られ、現在は
ありません。
礎石のあった所などに、「塔の井」「こうどう」「大安寺」などの小字名が
のこっており、「塔の井」の辺りから塔跡が、「こうどう」は講堂跡ではと
思われたものの、「こーどー」「こんどー」と発音する人もいた為金堂跡
ではとも推測され、発掘調査で金堂跡と確認され、その北から講堂跡
も発掘されました。
また発掘調査では激しく燃えた跡があり、『扶桑略記』にしか記載がない
711(和銅4)年の火災の記事が裏付けされました。
焼失して千年以上も言い伝わるとは・・・凄すぎる土地です・・・
北より 金堂跡 遠景 |
金堂跡 普通の畑です |
南より 金堂跡 見えている山が香久山 金堂の北側に講堂が確認されている 講堂は金堂と同規模 |
金堂跡の南にある塔跡 九重塔が建っていたとされる |
塔の南側に中門が確認されている 回廊で囲まれる範囲だけでも、東西144m、南北197mという |
大官大寺址は、雷丘から香久山方向へ向かう自動車道路
の東側の畑というか平地の中にあります。
自転車や歩きでないとなかなか入りにくそうな道です。
ちなみに香久山からは歩いて15分位でした。
藤原宮跡資料館へ香久山の西側の道を30分程歩いて戻りました。
ちょっと離れていますが、平城京遷都に伴って移されたとされる
大安寺へ。
ちょっと渋滞していて、車で1時間くらいでした。
この門のすぐ東側と少し歩いた西側に駐車場有り(無料) |
平城京の左京六条七条四坊だった所 |
中門跡や南大門跡の礎石などがあります |
本堂 |
大安寺の南にある八幡神社の南側に塔跡(国史跡)
があります。
東塔跡 |
西塔跡 |
南大門の外に七重の西塔と東塔が配置されるという珍しい大安寺式伽藍配置。
東塔跡は数年前に発掘調査された後、基壇が復元
整備されていますが、西塔跡は少し盛り上がった
草地で、かろうじて史跡碑が見えるだけです。
塔の南側はかなり広い空地です |
思いつきで大安寺まで来てしまいましたが、
今までバラバラに行ったことがある所も
まとまって行くとまた違う面白味があります。
高市大寺が判明する日が楽しみです。
なお、『飛鳥幻の寺、大官大寺の謎』 木下正史 著 角川選書
を参考、というか読んで勉強させていただきました。
より大きな地図で 大官大寺 を表示
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