2013年7月14日日曜日

東大寺

恐らく日本で一番有名なお寺東大寺
何を今更説明することがあろうかとも思いますが・・・


正式名は金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)




とても暑い日でしたが、鹿は鹿せんべいをくれと。
喉かっさかさにならないんかと思いますが・・・;


買ったらすぐ頂戴


やっぱり日蔭やね~






 南大門

大仏殿(金堂)の南にある門です(国宝)。


天平創建時のものは平安時代に大風で倒壊し鎌倉時代に再建された
建築様式は大仏様(だいぶつよう)


阿吽二体の金剛力士(仁王)像も国宝
日本最大の木彫像(約8m)




阿形像
運慶・快慶ら作
 


吽形像
定覚(運慶の弟)・湛慶(運慶の長男)ら作

このブログを書くにあたって知ったのですが、普通仁王様というのは
仏教の守護神なので入ってくる人の方を向いているもの(南向き)なの
だそうですが、東大寺の南大門では創建時から向かい合わせだった
そうです。
また、風雨を防ぐ為に南側を閉鎖してあるとのことで、創建時は派手やかに
仁王様も見える門だったようで、今とかなり印象が違うようです。

また、阿吽も普通は阿形が東側、吽形が西側だそうですが、ここでは
逆だそうです。
天平期にはそんなに制約が厳密でなかったようです。



 
 
中門の西側から拝観料を払って
大仏殿(金堂)へ。



江戸時代の再建 (国宝)
拝観料 大人:500円




八角灯籠(国宝)
日本最古・最大の鋳銅製灯籠
当初の面(西北、西南面)の音声菩薩像が美しい





大仏様の正式名:盧舎那仏(国宝)
宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名


創建当時から残っている精緻な模様のある蓮弁(レプリカ)

 

大仏様のこの右膝下の須弥壇に鎮壇具の刀は埋納されていたとのこと




創建当時の模型
今より大仏殿は大きく、東と西に七重塔があった







東塔跡

大仏殿を出て少し東側の山に上がった所に
あります。

1970年万博で再現された相輪(約23m)
東塔跡の北側にあります
塔は約100mの高さだったという

少し地面が盛り上がっているのが東塔基壇跡
1180年 兵火により焼失


西塔跡

東大寺ミュージアムの北側の道を入っていくと
じきにあります。



土の高まりが西塔基壇跡 右側が親王墓地
934年 落雷により焼失


一乗院宮墓地

西塔跡の東側「五百立山」山麓に、五輪塔が六頭建っています。


一乗院宮墓地
「興福寺一乗院門跡」となった皇子たちの墓所
左奥が西塔跡




江戸時代初期、第107代後陽成天皇の皇子尊覚法親王
第108代後水尾天皇の皇子真敬法親王のお墓






講堂跡

大仏殿(金堂)の真北に講堂跡があります。

結構鹿がいて、静かな所です。


大仏殿が見えます

講堂跡碑


大きく立派な礎石



 

 
 
 

正倉院


H23年からH26年まで解体修理中(奥の覆屋)
国宝






転害門(てがいもん)


国宝 天平創建時からのもの
平城京の佐保路に面したことから別名「佐保路門」
 




南側より

最後の棟梁と言われた西岡常一さんが著書で
褒めておられた節くれだった柱。

節がよく見えます











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