2013年6月25日火曜日

玉手山古墳群~近つ飛鳥博物館れきしウォーク~

もう7月が目前となってしまいましたが;
6月1日(土)に、近つ飛鳥博物館の
春季特別展「百舌鳥・古市古墳群出現前夜」(6/30迄)の
河内飛鳥れきしウォーク「玉手山古墳群を歩く」
に参加しました。
奥の丘陵地帯に玉手山古墳群がある

午前10時に近鉄道明寺駅を集合して
玉手橋 (登録有形文化財) 東岸より
かつて玉手山に遊園地があった為かちょっとリリカルな感じ;
石川に架かる玉手橋を渡って玉手山古墳群へ向かいます。

 この日は曇りで風も適度にあって涼しく、
歩くにはちょうど良いお天気でした


 
まずは片山廃寺へ。



片山廃寺は8世紀頃の創建と思われる




奥に春日神社があります



塔跡


塔心礎と思われる

ここより出土の三角板鋲留短甲形埴輪
(最後に行く柏原市歴史資料館で展示されている)
5世紀後半の古墳の存在が推定される






玉手山1号墳

ここは後円部が普通に墓地になっていて、
見学してる時も法事があったようです。






関西大学が昔調査した前方部のトレンチ
埋めてないらしい




後円部より 南により高く2号墳・3号墳が見える




後円部の南側の道側に説明板あり
左:1号墳後円部 右:2号墳



北から2号墳後円部を見上げる
2号墳は削平されて玉手墓地になっています





玉手山3号墳


老人センターの玄関前を通って裏の山を登って行きます
(ちなみにこれは見学した帰り)



前方後円墳(全長100m) 4世紀中頃
真ん中の砂利の部分が埋葬施設(竪穴式石室か)のあった所

次に行く安福寺にある割竹形石棺(蓋)はここから
出土したと言われているが、発掘調査で石棺の
身部分が見つかるなどの確証は得られなかった
とのこと。

説明してくださった学芸員の関本さんは学生時代に
このくびれ部で壺形埴輪を発掘したそうです






3号墳から安福寺に向かう途中に古市古墳群がよく見える
(この玉手山古墳群が出来た頃はまだありません)


安福寺・安福寺横穴群


ここから安福寺に入ります





安福寺参道の両脇に横穴群がある
南群17基・北群17基・西群6基のあわせて40基



6世紀後半から7世紀初頭
壁画があるものも






右奥の屋根の下に石棺(蓋)がある
昔は手水鉢として使用されていた


安福寺石棺(重要文化財)


直弧文が線刻されている
蓋の合わせ目と水平に線があるのが特徴
(近つ飛鳥博物館に複製品がある)
 

石材は讃岐鷲の山産


安福寺から7号墳のある玉手山公園へ、結構急な坂道を
上がって行きます。
ちょっときついですが、山の上にあるので眺めはとても良いです。



玉手山7号墳

後円部墳頂に大坂夏の陣の戦没者を供養する宝篋印塔があり
前方部には尾張徳川家第二代光友の墓所があります。

この辺りは交通の要所で古墳のある山が砦となることもあって
古戦場だったとは私は全然知らなかったのですが、ちょうど慰霊祭
のようなのも行われていて(子孫の方のようですが)、リアルに
感じられました。


前方後円墳(全長110m) 4世紀前半
後円部に竪穴式石室の可能性のある墓壙と粘土槨あり
 



玉手山5号墳(消失)の横穴式石室にあった家型石棺


玉手山6号墳(消失)から移築された東竪穴式石室


ここでお昼休憩をして、午後からは玉手山公園を下って
近鉄・河内国分駅を超え、大和川南岸の松岳山(まつおかやま)古墳群へ
向かいます。


        ↑  松岳山古墳群 遠景



松岳山古墳は国分神社の横にあります。

この神社へ入って行く道の手前(西側)に茶臼塚古墳があるが
かなり普通の小山の斜面にしか見えない;
 







ここから松岳山古墳に登ります



国分神社
祭神は大国主命、少彦名命、飛鳥大神
社伝では鎌倉時代に建立






国史跡
前方後円墳(全長150m) 4世紀中頃

落葉でつるつる滑ってかなり登りにくい;




立竪穴式石室(積石塚?)から露出している組合式石棺
(蓋石と底石が花崗岩、それ以外が讃岐鷲の山産の安山岩)


後円部は意外と狭い・・・一行約70名で墳丘は満員




↑石棺        石棺の両短辺にある立石(南)

 
南立石
北立石

同様な立石が、この古墳より新しい佐紀陵山古墳にある
らしいですが、石室の側面石にしては高すぎるようですし
両方の立石にある円孔も用途は不明とのこと。

この古墳は墳丘上以外にも積石が確認され、同時期に
作られたと思われる、前方部で接する茶臼塚古墳も積石塚
とされています。

積石塚は古墳時代前期を中心に讃岐地域でみられる墓制で
石棺石材が讃岐産であることからも、讃岐との繋がりが深かった
と思われます。



茶臼塚古墳
長方形墳(22×16m) 4世紀中頃
副葬品に腕輪形石製品が多く武器類が認められない
 



この松岳山古墳で特筆すべきは、大型の鰭付楕円筒埴輪が
茶臼塚古墳と接する前方部西側で出土している点です。

茨城市の紫金山古墳で出土した例があるだけのかなり特異な埴輪です。

色々な所と繋がるけれど特異な古墳です。




鰭付楕円筒埴輪
(最後に行く柏原市立歴史資料館に展示されている)



また、国宝に指定されている「船王後墓誌」は、
江戸時代にこの古墳のある丘陵から出土
したと伝えられています。

三井記念美術館所蔵
船王後の出自と経歴が表に、没年と埋葬の経緯が裏に4行ずつ
(複製品が近つ飛鳥博物館にあります)
船王後墓誌は、火葬墓から出土した墓誌としては最古(668年)の年紀がある銅版です。


この辺りが羽曳野市の野中寺が氏寺ともいわれる船氏の墓地
とされていたとも考えられるそうです。

時代は違いますが、松岳山古墳群と船氏は関係あるのかなと
思わせますね~



大和川対岸に渡り、JR高井田駅のすぐ北側にある
高井田横穴群へ向かいます。

大和川に掛かる橋から見た松岳山古墳群
















高井田横穴群

6世紀中頃から7世紀前半にかけて、凝灰岩に
洞窟のような穴を掘って死者を葬った古墳です。



4つの支群に分かれた約160基の横穴がある



27基の横穴には線刻壁画がある
正直言ってあまり上手なカンジではないかな・・・;


 









説明してくださった資料館の安村館長さんが開けて
下さったようなので、いつも開いているかは不明
中を見るには懐中電灯は必需品






















柏原市立歴史資料館




月休 開館時間 9:30~16:30 無料




松岳山古墳の楕円筒埴輪がお出迎え
人の身長ほどある大きさです


上の鰭の向きから、こちら向きとわかるそうです
ちょっとピ〇チュウに似てる・・・
 

熨斗(ひのし)アイロンのようなもの)
古墳時代中期 高井田山古墳


 3時過ぎくらいに、ここで各自見学して解散となりました。

 博物館で展示してあるものが、実際に行ってからみると
 行く前よりよくわかるようになっておもしろいです。

 いつもながらありがたいイベントで、学芸員さんは大変
 だったと思いますが、ありがとうございました。




0 件のコメント:

コメントを投稿