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2013年12月1日日曜日

茶臼山古墳・天王寺公園

天王寺公園内にある大阪市立美術館の
「大阪の至宝」展(12/8迄)に行きました。

あべのハルカスもほとんど出来上がっています ↑
(注:11/21に撮ったものなのでもう紅葉はないと思います)



↑ 秀吉所用の富士山をデザインした陣羽織
肩口にフリルもあってとてもキュート










「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」 →
が見たかったので行っただけなので、2階まで使った展示でゆったりしてよかったのですが、ちょっと疲れました;




いつも天王寺駅から美術館へさっさと往復していただけで
美術館のすぐ近くには色々見どころがあるのにゆっくり
見たことがありませんでした。


美術館のすぐ南側にある旧黒田藩(福岡藩)蔵屋敷長屋門は、
江戸中期の蔵屋敷の遺構をもつ希少な存在で、現在の
中之島三井ビル付近(渡辺橋南西)にあったものが1933年に
移築されたものです。



大阪府有形文化財


長屋門のすぐ東側、美術館の正面入り口の反対側に広がるのが
慶沢園。


ずっと有料の所だと思っていましたが無料でした;







小川治兵衛さんの庭に最近ご縁があるような




















住友家茶臼山本邸庭園として、木津聿斎の設計、小川治兵衛の作庭による
林泉回遊式の近代日本庭園。

全国から名石・名木を集めた広大な庭園は完成までに10年を費やし、完成後間もない1921年に住友家から隣接する茶臼山とともに大阪市に寄贈。

1936年に園の隣地に大阪市立美術館建設。










美術館には何度も来ているのに
北側に行ったことが全くありませんでした;












茶臼山古墳がすぐ見えます。 

天王寺にあるとはうっすら知っていたのですが
こんなに近くにあったとは;

5世紀? 前方後円墳(全長:約200m)
大阪府指定史跡

茶臼山という名の古墳は各地に多いので、天王寺茶臼山古墳とも
いわれます。
前方後円墳の形が茶臼に似ているかららしいのですが、私にはいまいち
ピンときません;
でも、全国各地に茶臼山古墳はあるので、全国的な認識なんでしょうね~



公園の一部の山としてかなり整備されています
 後円部墳頂辺り?どちらが後円部かもわかりません;

・『日本書紀』に593年四天王寺の建設を荒陵で始めたと記されている
 荒陵がこの茶臼山古墳とされているが、葺石や埴輪が見つかっていない
 ことから古墳ではないとする説もある。

・周濠の一部と思われる古墳南側の河底池(こそこいけ)は、和気清麻呂が
 788年に堀の掘削をした名残で、その土を積み上げたものが茶臼山という
 説もある。

・1614年の大坂冬の陣で徳川家康の本陣、翌年の大坂夏の陣では
 真田幸村の本陣として使用されて「茶臼山の戦い」の舞台となった為、
 かなり改変されていると思われる。

・四天王寺境内にある長持形石棺の蓋は茶臼山古墳からの出土と言われ
 この地の豪族の古墳だったのではと思われる。

 もしそうならば、200mという大阪市内でも最大級という大きさや長持形石棺
 を使用していることなどから、かなり勢力を持った豪族ということになる。
 しかしそれならば全く埴輪等が見つかっていないのも不思議な話で、本当に
 謎めいた古墳です。



このすぐ近くの公園出口(出口専用)から四天王寺へは徒歩10分位です。

天王寺公園は有料なので、古墳だけ見たい、庭だけ見たいという時には
入園料(大人:150円)がかかります。
美術館のチケットがあれば入園料はいりません(込みということですね)。




より大きな地図で 天王寺 を表示

2013年11月3日日曜日

信楽めぐり

連休の初日に滋賀県の信楽に行きました。
狸の置物を買いに・・・


新宮神社

信楽高原鉄道の終着駅・信楽駅から西へ10分位の所です。
駅近くの甲賀市役所の辺りに無料の駐車場もあります。

この神社の手前(東側)の信楽町観光協会で散策地図など貰えますし
色々親切に教えていただけます。

ろくろ坂という散策路へは鳥居の向かって左手へ行きます。
他にひいろ壺坂・釜場坂というのがあって帰り道に釜場坂を通りました。


715年創建
御祭神:素盞嗚命・稲田姫命・大山津見命
 


境内に狸の置物がたくさん
狛犬も信楽焼















Ogama

かつて使われていた登り窯が見学できる
明山窯さんのギャラリーOgamaがあります。

9/16の台風で屋根が破損してしまったそうです
金土日祝日のみ営業 11:00~17:00


 






セルフオーダーのカフェがあります
左手にギャラリーがあります

信楽特産朝宮紅茶 300円
信楽焼のカップで美味しかったです




登り窯跡が滋賀県の史跡として残されている所も
散策路途中にあります。



信楽焼窯跡群
7遺跡が滋賀県の史跡として指定されている
 


登り窯があるところなのでちょっと坂道ですが、
普通の家とお仕事中の窯元さんが混在していて
面白い散策路でした。

連休初日で高速道路は渋滞で、信楽まで平日の倍くらい
時間がかかりましたが、信楽の町はのんびりしていて
良い所でした。




紫香楽宮跡(甲賀寺跡)

帰り道の第二名神の信楽ICの少し手前(南)にあったので、ゆっくり見学する
時間がなかったのですが、ほんの入り口だけ寄りました。
北側(写真右手)に上がって行くと礎石群があるようです。

紫香楽宮跡として1926(大正15)年に国の史跡に指定されましたが、実は
甲賀寺跡だったようで、本当の紫香楽宮跡はもう少し北にある宮町遺跡
というのが定説です。
観光案内所で貰ったパンフレットにはすでに甲賀寺跡としか載っていません。



742年紫香楽宮造営開始/743年大仏建立の詔
745年紫香楽宮廃都
「甲賀宮国分寺」か?

また今度ゆっくり遺跡見学に来たい・・・と泣く泣く信楽を
あとにしました。



より大きな地図で 信楽 を表示

2013年9月26日木曜日

明日香から高取へ

22日(日)は第52回鎮守の森を観にいこうかいで
「明日香から高取を巡る」に参加しました。

暑いほどの好天の一日


8時に桜井に一次集合した一行と、9時15分に
近鉄飛鳥駅で集合して出発。

棚田祭りがあるとか色々イベントもあったようで
飛鳥駅は大混雑でしたが、私達一行は駅の西側を
歩くのであまり人はいませんでした。


近鉄飛鳥駅は約30分に一本の発着(特急電車除く)




飛鳥駅から少し北へ歩いて線路を西へ越えるとすぐに
岩屋山古墳があります。



国史跡
7世紀代 方形墳(約54m)


当初の羨道はもっと長かったという
江戸時代には開封していたらしい



岩屋山古墳の石室は切石積みの大変美しい石室で、横穴式石室の基準となっています。





羨道(長さ:約12m 幅:1.9m)




奥壁
飛鳥で採れる模様入りの花崗岩



天井石 一枚石




漆喰で塗られていたらしい









出口の辺りは二段積

















墳丘の西半分程は削り取られている
 


墳丘から東の眺め
中央に鬼の雪隠が見える

















牽牛子塚(けんごしづか)古墳


岩屋山古墳から西へ10分程歩いたところに牽牛子塚古墳があります。
牽牛子とはアサガオのことで、八角形を意味します。
この古墳が古くから八角形墳という認識がなされていたということ
のようです。

八角形墳というのは皇族、特に終末期では天皇の墳墓の形です。

この古墳は、第37代斉明(第35代皇極)天皇と、その娘で第36代孝徳天皇の
皇后だった間人皇后の合葬墓とほぼ断定されていますが、宮内庁の治定する
斉明陵としては、ここより西にある車木ケンノウ塚古墳とされています。


牽牛子塚古墳東よりの遠景
高台にあり行く道すがら植山古墳も見えました



 

この古墳は2009年から2010年に発掘され、墳丘裾部には切石やバラスを
敷き詰め、墳丘部表面も凝灰岩で装飾していたと思われます。


30~40歳代前後の女性の歯が見つかっていますが、間人皇后のものと
思われます。





7世紀後半 八角形墳(対辺:約22m) 二段築成
夾紵棺片・七宝亀甲形座金具・ガラス玉等出土



国史跡
大正時代・1977(昭和52)年にも発掘調査
 

  



格子越しに刳り貫き式横口式石槨の中を覗ける


石槨 向かって左
長さ:約2m
石槨 向かって右
棺台(幅:約80cm)が削り出してある



天井部ドーム状 二重に漆喰塗り
二上山産凝灰角礫岩製 推定重量80t





石槨入口は向こう(南)側
左(東)側の墳丘下に越塚御門古墳(埋め戻されている)




















越塚御門(こしつかごもん)古墳


牽牛子塚古墳の東南部に埋もれていたのが、
2010年の発掘調査で発見されました。


『続日本書紀』667年2月に、斉明天皇と間人皇女を
小市岡上陵(おちのおかのうえのみささぎ)に合葬し、同日に
陵の前の墓に皇孫大田皇女を葬ったことが記されています。


ぴったり・・・文献と発掘の成果が一致する極めて稀な例で、
大田皇女墓でほぼ間違いないようです。





 
7世紀後半 墳丘規模不明
石英閃緑岩製組合せの刳り貫き式横口式石槨(長さ:2.4m)
石槨前面部に墓道あり(長さ4m以上 幅:約1m)

 


大田皇女は天智天皇の娘で、天武天皇の妃となって大伯皇女と
大津皇子を産み、若くして亡くなったようです。

実の妹で同じく天武天皇の妃となって草壁皇子を産んだ、後の
持統天皇にとって、この姉の死がなければ皇后になることは
できず、ひいては天皇になることもなかったはずです。

大津皇子は謀反の疑いで刑死し、姉の大伯皇女の挽歌が
『万葉集』に残ります。






牽牛子塚古墳からさらに丘陵の奥へ歩き、益田岩船へ行きます。




益田岩船までの道のりはシダが生い茂って道もよく見えない・・・
一人や雨の時などはお薦めできません;;






益田岩船




山の中を歩いて行くと突如現われる



花崗岩製
東西11m 南北8m 高さ4.7m(北側面)



益田岩船については謎の石造物として諸説ありましたが
横口式石槨の作りかけではないかと言われています。

穴が二つあるので、斉明天皇と間人皇后の合葬墓である
牽牛子塚古墳の石槨を作りかけたものの、ひび割れなどで
断念して放置されたものではというお話がありましたが、
牽牛子塚古墳が発掘された今はとても説得力があります。



切り出す苦闘の痕跡が



竹藪に覆われているが岩船山の頂上
昔は見晴らしの良い所だったとのこと



来た道を戻り、南下していきます。

道すがらボールを拾って・・・?
ではなく、何とキノコ!


オニフスベ
食べれるらしいですが美味しくはないらしい・・・

やっぱりお彼岸



式内社 櫛玉命神社





マルコ山古墳



集落の間の見晴らしの良い高台にぽこっとあります



国史跡
7世紀末~8世紀初 六角形墳(対角辺24m) 二段築成
凝灰岩切石製横口式石槨 漆喰塗



墳頂より 見晴らしが良いです
お昼休憩はここで きれいなトイレもあります


さらに南下して・・・
集落の中から高台へ春日神社の階段を上がって行きますと
春日神社の境内に束明神塚古墳があります。



    右の草の緑の所が束明神古墳  ↑




春日神社拝殿


















草壁皇子の本当の墓というのが定説です。

草壁皇子は天武天皇と持統天皇の子で、皇太子のまま
28歳で亡くなっています。

7世紀後半~末 八角形墳(対角辺:約30m)
凝灰岩製横口式石槨
青年期~壮年期の歯が見つかっている


草壁皇子の墓という伝承はずっとあったようなのですが
明治に天皇陵の治定が行われた際に、陵墓とされれば
村を移住させられるという心配をした村人により上部が
破壊され、もう少し南に岡宮天皇陵が治定されたという;



















以前に撮った橿原考古学研究所の敷地内にある束明神古墳の復元石槨





 
 






岡宮天皇陵は束明神古墳から少し南へ行った所にあります。


宮内庁が草壁皇子の陵墓として管理しています。

草壁皇子は皇太子で死去していますが、息子が文武天皇、
妃が元明天皇、娘が元正天皇となって孫の聖武天皇と続く為
草壁皇子の血筋というものが尊ばれ、758年に岡宮御宇天皇と
追号されます。



明日香の岡に草壁皇子の宮があった為岡宮となったという



素戔嗚神社の横にあります



岡宮天皇 真弓丘陵

 


岡宮天皇陵の鳥居



古道 紀路(高野海道)


20分程歩いて高取町役場の方へ向かいます。




天誅組鳥ヶ峰古戦場

天誅組という名前は漠然と知っていましたが
なかなかに悲しい・・・

天誅(忠)組は、公卿中山忠光を主将に志士達で構成された尊皇攘夷派の武装集団で
1863(文久3)年、孝明天皇の大和行幸の発表(8/13)を受けて挙兵(8/17)したはずが
政変(8/18)によって一転逆賊となって幕府軍の追討を受けて壊滅し、政変を知らずに
集められた十津川郷士約千人は純粋な勤皇精神を利用されただけとなってしまった・・・


高取中央公園







 




 


丘の上の茶色の建物が高取町役場
近鉄壺阪山駅は右手(東)へ徒歩約5分


奈良県森林技術センターで色々お話を伺って、
30分に一本の電車の時間が迫っている為大急ぎで解散と
なりました。

暑い一日でしたが、かねがね行きたかった所に沢山行けて
嬉しい一日でした。
ありがとうございました!



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